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2005/09/20

弁護士報酬

 先日ある会合で弁護士報酬のことが話題になりました。話しに加わったのは、みな弁護士さんです。そこでの会話で私が刺激を受けたことをいくつか書いてみたいと思います。

 歴史的には、弁護士は、古くは報酬を取ってはいけない、という時代もあったようですが、いまはそんな国はありません。「報酬は、禁止され、辞退され、次いで受け取られ、現在では請求される」ことになった。法曹倫理の教科書には、こんな文章が紹介され、加えて最近では、報酬見積もりが要求されていると結んでいます(倫理上317p)。いまや弁護士が報酬を受けるのは、依頼者に提供するサーヴィスの当然の対価である、こういうことなのでしょう。

 では、弁護士の報酬は、どんなサーヴィスの対価なのでしょうか。これが議論になりました。この点を考える手がかりで有名なのは成功報酬とタイムチャージですね。これに加えて、だれへのサービスなのか、依頼者なのか社会なのか、これも問題になりました。

 ところで弁護士がかつては、報酬を受け取ることを禁止されていたと聞くと、少なくともいまの日本の人々は驚くのではないかと思います。少し前まで日本の弁護士は兼業を厳しく禁止され、弁護士稼業でしか生活ができないでいたのですから、報酬の禁止など考える余地のない話です。「取りすぎ」が禁止されていたのならわからないでもないが、取ること自体が禁止されていたなど想像のほかであるからです。そうです、もちろんこれは日本の話ではありません。

 しかし弁護士のプロフェッション性を主張する人々は、いまでもこのことを誇らしげに語ります。「弁護士は、もともと金のために働いてきたわけではない、歴史的もそうであったし、いまでもプロボノや無報酬の手弁当事件を誇りをもってやっている」。こういうわけです。

 こうした言説に対して、プロボノや無報酬受任は、これは大金を得た資産家が、自己の贖罪のために行う免罪符であるという意見があります。私の意見ではありません。だがだれの意見であったのか忘れてしまいました。

 しかし現代の報酬を受ける弁護士のプロボノ活動について、上のような免罪符批判がでるのはわかるとしても、歴史的に出自が無報酬であったことは否定できません。

 この点では、むしろ、弁護士は歴史的には職業ではなかったというべきでしょう。金を取ってはいけないのですから、なにか他のことで食っている必要があります。それは貴族という身分であったのか、軍人という身分であったのか、よくわかりませんが、弁護士以外の職業で飯を食いながら、請われて人助けをしていたと考えるのが、素直な見方のように思います。

 そう、いまでいうボランティア、それもヒューマンケアのボランティアであったのではないしょうか。

そのように考えると、この会合で出た次の二つの発言が理解しやすくなります。

1)アルコール中毒や精神に異常をきたす弁護士が多い。

 これはある熟達した弁護士が、自分の同僚たちをみての感想です。なにやらケアスタッフのバーンアウトと似ていませんか。

2) 弁護士報酬は慰謝料だ:
 これも熟達した弁護士の発言だそうです。ケアの基本は人の痛みを感じること、その人に専心没頭することである、とケアの有名な本に書いてありましたが、そうすることでケアされる人は痛みが和らぎますが、ケアする人は痛みを感じます。タイムチャージだとか成功報酬の分け前だという議論ではなくて、この慰謝料であるという表現は、弁護士職の本質がヒューマンケアサービスであるとみるとよくわかります。

 くわえてこのことは弁護士は、自分の事件になるとやはり代理人をつける(つまり他の弁護士に頼む)ことが多い、この事情についても説明を与えてくれます。いくら自分に法的知識や技術があっても、自分の痛みは自分では緩和できないのです。

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