« 成年後見の審理 | トップページ | 追悼 »

2005/10/04

成年後見の審理 2 むかしは訴訟だった

家事審判法が制定される前は、訴訟事件でした。人訴法の対象だったのです。
佐上先生の本を読んでいて、まず驚くのは、成年後見(禁治産)の事件は、今は家事審判で非訟事件ですが、昔は訴訟事件であったことです。25p以下

ドイツ法を継受した最初は、婚姻事件養子縁組事件及ヒ禁治産事件に関する訴訟規則)明治23年10月8日法律104号で扱われていたようです。
それが、人事訴訟法に明治31年に移り、家事審判法が制定されてからは、ずっとそれで運営されてきたわけです。家事審判法が制定されたのは昭和22年ですが、戦前の昭和10年ごろの東京区裁判所では、実質的に非訟的扱いがされていたとの記事があるそうです。35p

佐上教授は、最初の継受のときから母法であるドイツ法とかなり異なっていることを随所に指摘されていますが、いまの我々にとっては、争訟性が薄いといまの法律家に見られている成年後見制度が(だから非訟なのです)、昔は争訟性の高い訴訟であると位置づけられていたことを指摘することがまず必要でしょう。

実感としてもそう思います。成年後見の申立ては、本人と関係者(家族・支援者)の間でもずいぶんともめることがあります。家族や支援者間では、もっともめることがあります。争訟性が全事件において必ずあるとはいたしかにいえません。まったくないものもあるでしょう。だがあるものもあるのです。

そして継受されなかったものの実質は、とても驚くものです。一言で言えば、ドイツ法では本人を必ず裁判官が見たうえで判断するための幾つかの規定をおいていたのに、わが国では、それを割愛し、本人を審問(ようするに会うこと)をして判断することがとても困難な規定になってしまった点です。
佐上教授の言葉をそのまま引用しておきましょう。33p
 「禁治産をうけるべき者の審問を実施するには、その者を裁判所まで連れていかなければならないうえに、大都市以外の裁判所では鑑定人を呼び出さなければならない。さらにまた鑑定をうけさせなければならないが、精神科医の数も乏しく、また入院費が高額であることを考え合わせると、禁治産の手続きを申し立てる余地のあるものはきわめて限られていたといえる。一方において精神病者監護法によって、行政庁の許可による私宅監置(座敷牢のことか・佐藤補注)を許して精神病者を社会から隔離し、治療もしないという政策が採られている中で、あえて高額な費用を投じ、また裁判所によって公に精神病のために禁治産宣告を受けるという選択をするというものは限られてくる。」

禁治産宣告の利用が少なかったのは当たり前であったといっていいでしょう。使う必要がない状態で、あえて高い費用のかかる制度を利用する人がいるとは思えません。

さて現状の成年後見はではどうでしょうか。利用は禁治産のころに比べれば伸びています。しかし長年にわたって本人を見ないで審理してきたわが国の伝統はそのまま生きているように思います。
 さらなる利用を望むためには、ここを克服しなければならないと思います。もともと争いのあったものを「利用できないようにしていた」というのなら、消極的な意味ではありますが実害がなかったと言えましょう。しかし、実際には「争いのあるものを」「充分な手続手当と人的配置なく判断しなくてはならない」とすれば、実害がでる可能性があります。

いまの現代の日本はどうなっているのでしょうか。

|

« 成年後見の審理 | トップページ | 追悼 »

障害者後見」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73618/6240645

この記事へのトラックバック一覧です: 成年後見の審理 2 むかしは訴訟だった:

« 成年後見の審理 | トップページ | 追悼 »