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2006/07/15

Garrow's Lawyers 6

弁護士に期待される社会的役割は多様です。
このことを経験豊富で学識に富む那須弘平弁護士(最近、最高裁判事い就任されました)は次のように書いておられます。
 「一人の弁護士が訴訟代理人として行動するについては、実に多くの利害関係者から多様な役割を期待されることになる。それら複数の期待は、常に一致したものであるとは限らず、むしろ相互に矛盾、対立する要素を含み、弁護士はこのすべてを充足することが不可能な場合のほうが多い。そのような場合には、弁護士は自らの価値判断で、矛盾、対立する役割の順序づけをして整理し、自己の行動の整合性を保つ。」(那須弘平「民事訴訟と弁護士」信山社・2001、12p)。

 那須弁護士のいう役割の順序づけは、個人の中での選好の問題であり、棚瀬孝雄教授によれば、それは準拠枠と呼ばれる人間の行為選択因子を使った選好だそうです。棚瀬教授は次のように書いておられます。
 「準拠枠とは、特定の状況ごとの行為者自身の行為選択の指針である。一般に、個人は同時に多数の役割期待を受けているが、それらはそのまま行為選択の指針となるのではなく、一度行為者自身の中で、その価値関心を基軸として統合され、調整された上で、具体的な行為選択の指針となる。すなわち、個人は自己の価値関心が多かれ少なかれ最適に充足されるように、多様な行為状況に対して、それぞれ行為選択基準を設定するのであるが、通常こうした行為基準も、行為者自身の中でさらに相互に調整される結果、複雑な屈せつを受けることになる。こうした行為基準の相互調整がなされるという側面に着目すれば、そうした複数の行為選択基準が全体として各行為者ごとに一つのシステムをなしているという考え方になる。それがパーソナリティ体系という考え方である。」(紛争と裁判の法社会学」法律文化社・59頁・1992)

 このパーソナリティ体系という考え方は、私には、充分に理解し得ない面があるのですが、それでは話にならないので、いまのところは、その人の「人となり」(アイデンティティといってもよいのかもしれません)を表すものと理解することにしています。

 この人となりは、そのひと個人にとって、自己の姿として明確に意識される場合もあれば、なんだかよくわからないカオスのように理解されることもあるでしょう。

 また、多様な期待を含む役割も、その人にとって常に同一選好をもつものではなく、それを意識する生活局面に応じて異なって認識されます。たとえば、週末スポーツクラブで泳いでいる弁護士は、健康志向か美容志向か、あるいは、コミュニケーション志向(友達作り)か競争志向かと、さまざまな形で自己認識(自己の役割規定)を行い、周囲もそのどれかを期待するのでしょうが、そこでは職業的役割はほとんど意識されないでしょう。

 つまり我々は、よく個人・主体・自己などと表現し、語っているのですが、一個の人間の姿は、その時折において現れ方(役割)を変えるものであり、その人間自身にとっても、そのことが明確に意識されている場合も、いない場合もあり得る、そう考えられます。意識している、しないにかかわらず、我々は、その人となりの考えかたに基づいて選好を行っているのだ、那須・棚瀬両先生の主張は、そう教えてくれます。

 レークプレザントの二人の弁護士は、では何を選好したのでしょうか。この二人が、自己の家庭生活よりも強い職業意識、職業的役割、それも刑事弁護士としての専門家的役割を意識していたことはまず間違いないでしょう。その職業的役割選択は、家庭生活のすべてを職業生活の中に埋没させることを招来し、Armani の場合は家庭が崩壊してしまったことはすでに述べました。ここまで自己の職業意識を前面に立てて緊張感ある日常生活を送ることは、誰にでもできることではありません。もうそれだけで私などは、凄いなあと思ってしまいますが、アメリカの弁護士さんは、意外にこういうタイプの人が多いのかもしれません。

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