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2006/07/20

法人は人でナシ ?

 成年後見の話をしていると、法人後見に対する期待が高いのにいつも驚かされる。法人後見はまるで万能の神様のごとき視線を浴びている。

 なぜだろう、といつも思う。法人の代表格である株式会社組織には、それこそいろんなものがあるが、一部上場とはいかないまでも、けっこう大きな会社でも取引にあたっては、社長の個人保証を要求されるのが日本社会である。これも信用調査の手を抜く日本の変な慣行であるが(信用調査をしっかりしていれば個人保証など不要であるし、しっかり調査していれば個人保証を受けても取引には入るべきではないだろう)、それはそれとして株式会社は、法人単体では信用されていない、ということである。だから社長の個人保証なのである

 ところが成年後見の世界は、まったく議論が違う。親よりも専門家、専門家個人よりも法人、こんな感じで信用のランク付けがあるかのごとき議論に、頻繁に出くわす。そのたびに私は辟易とする。「個人はいずれ死ぬ、しかし法人は死なない」、そう思っている人が意外に多い。「個人は間違う、しかし法人は間違わない」、そう思っている人も多そうだ。成年後見の専門家と自称する人の中にも多いようだ。
 後見をつければ、万全だ、しかも法人後見であればなおのことすばらしい、私はとてもそんな主張をする気になれない。もっと生活場面の具体的な場面に目をおろせば分かるではないか。
 障害者は、みなそれぞれの歴史をもって生きている。療育手帳のA判定で、障害程度区分ではこれこれといった特性をもつだけではない。親がいたはずであり、友人もあったはずだし、趣味や嗜好、失敗したことや楽しかったこと、沢山の思い出とこれからの生きる希望をもっている存在だ。そんな複合的な存在である個人をどうして、見ず知らずの専門家後見人が理解できるのだ。法人の担当者が引継ぎ書類を読んで、どうして理解できるのか。ところが世の中には、簡単に理解できると思っている人が多い。
 これは、理解できると思いたいのだと私は考えている。そう思うしかないではないか、そう思わないとわが子を残して死ねないではないか、そういうことなのだろう。それは私にもわかる。しかし、それは勝手というものだ。そんな勝手な思いを抱いて死んでゆくのは無責任だ、と書くとおそらく書きすぎだろう。親の思いは複雑である。

 誤解をさけるために付言しておくが、私は法人後見がまったくダメだといっているわけではない。それが万能だと思う人がいるから、それは違うといっているのである。加えてあきらめることはないとも思う。社会は、所詮個人と個人の絡み合いである。絶対安全などありえないが、しかしまったくダメだという事態もさける工夫がありえよう。
 専門家として主張する人には、責任ある発言をお願いしたい。いまの法人後見万能論を聞くたびに、思うことである。

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コメント

寝る前に書き込んだら、いささか表現がキツイものになっていたので、書き直しております。まだきついかなあ、文章とは難しい。

投稿: satosho | 2006/07/21 05:02

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