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2006/09/23

新司法試験の結果

おととい新司法試験の結果が発表され、ゆっくりする間もなく、今日は勤務校の未修者対象の入学試験です。入学試験の感想は、「職務上の秘密」ということにして、以下は、新司法試験の結果についての私の感想です(あくまで一般論)。

 今回の司法試験の結果について、どこの大学が何人合格したとか、あそこが意外に多かったとこか、少なかったとか、いろんな分析が出てくるでしょう。その中で各大学の受験者数と合格者数が個別に報告されていることが目につきました。受験者数は、卒業生の数にほぼ見合っていますので、これから各大学間での競争ファクターの一つとして、合格率を競うことになるのであれば、卒業者の数をコントロールする、つまり明らかに合格しないと学校側が判断する学生は卒業させない、そんな政策を各大学がとる可能性があるのではないか、そんな思いをいだきます。
 入学は優しいが、卒業は厳しくする、これが制度発足時の当初目標でしたから、そうした傾向がもし登場するとすれば、これは制度設計の基本に立ち返るわけで好ましいことです。私も好ましいと思うのですが、ただ、卒業と試験合格とは違う観点で判断されるべきであるという、もう一つの制度設計の含意を強調したいところです。

 この含意とは、1)明らかに新司法試験に合格する能力がないと判断される学生は卒業させない、と同時に、2)司法試験に合格する可能性のある学生の中でも、各法科大学院が法律家としての素質を疑う学生は卒業させない、という判断も法科大学院に期待されているのではないか、というものです。2)がまさに各法科大学院の個性といえましょう。

 法科大学院の卒業と、新司法試験の合格の能力とは別物で、この二つの関門をそれぞれクリアした人だけが法曹になれる、それが新しい法科大学院教育の理念ではないでしょうか。もっとも上記の2)に乗り出す勇気(余裕?)をもつ法科大学院は、実際にはなくて、多くの法科大学院は、当面、1)の側面の検討を進めるのではないかと思います。でも長期的には、法科大学院はもっと高い理想を抱いている制度だと強調したいところです。

 入学者のほぼ全員を卒業させる法科大学院は多いと想像しています。しかし、仄聞するところによれば、かなりの学生を留年(卒業させない)処分にした大学もあると聞いています。このような厳しい大学(つまり全員を卒業させなかった大学)に対しては、「それだけしぼっても、なお全員合格に至らないではないか」という意見をいう人がいるかもしれませんが、それはまったく的はずれでしょう。

 法科大学院の教育は、受験教育ではない、これは誰でも(たとえ建前であれ)いうことです。これは、試験では評価できないプロセスで法律家としての能力を見ていこうということであったと思っています。この趣旨を朴訥に適用すれば、「新司法試験に合格しそうであるが、法律家としてはどうかと思う」と評価される学生は、「合格しそうであるからこそ」法科大学院の段階で卒業させないことが、重要な法科大学院の役割であるように思います。

 そうはいっても現実にはなかなか、そうした判断は難しい。加えて、私立大学であれば、避けては通れない難問もあります。しかし、入学させた以上、どのような教育を受けようが(あるいは受けないでサボろうが)ほぼ全員を卒業させてしまう法科大学院があるとすれば、やはり検討の余地があるのではないかと考えるのです。

 そんなことをいうと、その厳しい法科大学院の入学希望者が減ってしまい、自分で自分のクビをしめることになるかもしれません。でもそれは、それでいいのだろうと思っています。これからの法曹は、弁護士になったから能力があると判断されるのではなくて、どのような教育をどこで受けてきたのか、それが依頼者から問われるだろうし、そうあるべきだと考えています。

 <添え書き> この記事は当然のことながら私のまったくの個人的な考えであって、勤務校とはなんの関係もありません。

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コメント

 MOMOさん、PEKOさん、こちらこそ失礼しました。ちょっと急ぎ読みであったようですね。
 わたしの意図するところも、MOMOさんの解説の通りです。授業がはじまり、いまへばっています。土日も仕事でしたからねえ、と泣きを入れておきます。

投稿: satosho | 2006/09/25 15:30

satosho先生 誤解ある質問で大変申し訳ありませんでした。学生の皆さまにもお詫び致します。
MOMOさん 補足の援護をありがとうございました!おっしゃっていただいた趣旨のつもりでしたがこのようにお伝えすればいいのですね。感謝します。判断基準についても理解しました。ホントに難しいところですね。ありがとうございました。

投稿: p | 2006/09/25 14:01

satosho先生のお話は、一般論として「もしそういう学生がいたら・・・」ということですね。pekoさんのご質問も、一般論として「どういう資質を持った学生が不適格なのか」というご趣旨(かなと思うのですが)であれば、これは、一般社会における「ちょっと問題があるのではないか・・・」という判断基準(たとえば、人種差別など、極度に歪んだ物の見方をするとか、善悪の判断軸が一般常識から甚だしく乖離しているとか、)と同じになるのかなと私は思います。でも、まぁ、これはなかなか判断が難しいと思いますけれど・・・
横レスですみません。

投稿: MOMO | 2006/09/25 10:44

うーむ、Pekoさん、コメントありがとうございます。今日、日曜も外仕事でレスが遅くなりました。
 なんどもくどいほど、書いているのでのですが、私の記事は、勤務校とは関係がありません。そんな誤解をする人がいるかもしれないと思いましたので、その旨のお断りをしたのですが、やはりそうした質問がでるのですねえ。
 そこで繰り返します。私の記事は、勤務校、およびその学生とは関係がありません。Pekoさんは、わたしの勤務校に問題学生がいることを期待しておられるようですが、そんなことがあれば、わたしは、上記記事を掲載しません。
 すいませんが、pekoさんの記事への返答はご勘弁ください。

投稿: satosho | 2006/09/25 01:02

外から見ているものにとっての驚きは、
MOMOさんの言う「可能性がないと判断できた時点で、進路変更を勧める」ような学生はこれはいるだろうと想像しますが、「新司法試験に合格しそうであるが、法律家としてはどうかと思う」と評価される学生、が、客観的評価として(教員の発言ですものね)存在すること、ですね。
私たち弁護士利用者は、「そういう元学生の現役弁護士」を選別しなければならないのですものね。
思わず、聞きたくなります。
・・どんな学生を「法科大学院の段階で卒業させない」学生というのすか?と。。

投稿: peko | 2006/09/24 11:42

MOMOさん、コメントありがとうございます。たしかにそうですね。再試の連発は避けたいところです。妙な比喩かもしれませんが、自己決定とパターナリズムの問題が、ここでも登場しているのかなあと思います。告知の問題も関係するケースがあるかもしれませんね。勤務校とは関係ない問題で、これは全国的に研究されてしかるべき問題ですよ(くどいか・苦笑)。

投稿: satosho | 2006/09/24 10:49

トラバありがとうございます。
1)明らかに新司法試験に合格する能力がないと判断される学生は卒業させない、2)司法試験に合格する可能性のある学生の中でも、各法科大学院が法律家としての素質を疑う学生は卒業させない、は私も同感です。もちろん、経営戦略としてどうかという問題と、まさに人生を賭けて入学してきた学生のことを考えるとなかなか躊躇するところではありますが、個人的には、「可能性がないと判断できた時点で、進路変更を勧める」のは単に「(合格率をあげるための)切リ捨て」ではなく、学生に対する「責任」であると思います。
ただ、その前提として、「入学は優しいが・・・」と言っても、あくまでも、その時点で一定の水準を満たしている学生を入学させるべきであり、定員割れを恐れ、とにかく入学させることはあってはならない、とも思います。「君にもできる」とやさしい言葉で、単位がとれない学生を補講はともかく、再試の連発で救い上げ、3年間引っ張った挙句、「ダメです」は却って酷だと思います。これまた、私も勤務校とは関係なく、個人の意見ですが・・・

投稿: MOMO | 2006/09/24 10:27

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