残余型福祉
昨日紹介した中根さんの本に選択主義型残余福祉という言葉がでてくる(46p)。要田さんの本が引用されているので、そちらを見たら(176p)、残余的福祉モデルとは、個人や家族の自助努力が失敗した場合に、社会福祉制度の役割を限定するモデルだそうだ。
なにか分かりやすい例がないかと思うが、さしあたりは成年後見の市町村申立制度がそうだろう。そこでは、近親者がいる限りは市町村申立ては「出来る限り」発動を拒否される。
ようするに福祉におけるケチケチ政策のことをいうのであるが、要田さんが描いた措置の時代であれ、すでに支援費の時代に入った中根さんの記述する世界であれ、残余型福祉の基本政策は変わっていない、そういうことだろう。
残余的福祉モデルで描かれる親子の家族関係は悲しいものがある。親がへとへとになるまでわが子へのケアを尽くし、社会もまたそれを期待する。親が体力も精神力もなにもかも失ってはじめて行政が手を差し伸べる。それは、社会一般とは異別な家族である、とのレッテルが付きまとい(スティグマ付与)、それゆえにまた、親は子供を囲い込む。とりわけ親の中でも母親がその役割期待を引き受けさせられるため、母親と子供の間の自立性が失われ、母親の人生が子供にささげられるだけででなく、子供の人生も母親の人生と運命を共にすることになり、その自立は母親によって否定される。その極端な姿が心中である。わが国では、母親は社会から差別され、わが子を差別する存在になるのである。要田さんはそのように指摘して、続いて、障害者家族の親は、「社会問題と差別問題の交錯する交点」だという。処方箋は社会的扶養の拡充であろうか。
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