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2006/10/23

医療過誤訴訟は少ない?

 アメリカの話しです。もう一週間以上も前になってしまいました。対話医療シンポジウムに参加したおりにそんな話しを伺いました。このシンポで他に記憶に残っている点も含めて自分のメモのために書いておきます。なおこのブログで前に書いた記事は下記です。
 http://www.satosho.org/satosholog/2006/10/post_6571.html

 http://www.satosho.org/satosholog/2006/10/post_6b0d.html

 まず3点セットの話しを書いておきたいと思います。これは、シンポ冒頭で自治医大の長谷川先生がパワポで示してくださった話しですが、医療安全を考える人々の思考スキームを三つの座標軸にしておられました。

 1)エラー防止   2)医療の質の向上、  そして3)クレーム対応、です。

 これは、私のような門外漢には分かりやすくて、ありがたかった。必ずしも一般的ではないという話しもうかがいましたが、医療関係者は、大枠でこうした問題として医療安全を考えておられるのか、と分かった次第です。
 でも、3点の枠組みはバラバラではないでしょうね。すべては関係しているようにも思います。

 続く、フェルドマン教授のアメリカの話がまた面白かったですよ。
「アメリカの医療過誤訴訟は、多くない」。そんな話から始まったからです。これってさんざんマスメディアに操作されている日本人には驚きの発言です。でもハーバードの先生の最近の研究やいくつかの実態調査を根拠に、そうした主張がアメリカではなされていることをゆっくりとした英語ではなしてくださいました。
 その論旨は、要するに医療過誤自体は多いのであるが、そのほとんどは訴訟になっていない。また深刻な過誤事例ほど訴訟になっていない。医療過誤訴訟が多いという神話は、マスメディアと保険会社が作り出したものである。まあそんな話しでした。
 アメリカの研究者は、一般常識的なコンセプトを覆すブレークスルーな議論をときおりして世の中をあっと言わせますが、これもそうですね。へええ、と、とにかく驚き、なるほどとうなずいてしまいます。

 で、家に帰ってもう一度、反芻してみると(わたしはその場での即応的な思考が苦手で時間をおかないと意味が理解できません・要するに鈍いのです:苦笑)、教授の発言は、「当然」の部分があります。世の中の事件は、医療過誤に限らず、あらゆる種類のものが、すべて訴訟に行くわけではありませんし、判決で終了するわけでもありません。「事件のすべてが訴訟にいく/いくべきだ」、こういう前提をとった場合に、アメリカの医療過誤訴訟は多くない、という教授の主張(アメリカの議論の紹介)が納得できるように思います。これは多い、少ないを評価するモノサシの設定の仕方の問題ですね。

 医療過誤が多くなっている、と日本でも法と医療の双方の関係者が思っています。そのときのモノサシは、また違う観点からのものだと思います。それは医療の日常(本来的業務と思われるもの)から外れた話しが多くなっていることへの怨嗟の声でしょうか。その点ではフェルドマン教授が、医療従事者が安心して仕事ができる環境づくりがこれからは必要であると締めくくっておられてたのが印象的です。

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