« 秋の恵み | トップページ | 雉本朗造の法律研究所 »

2006/10/31

必修科目偽装問題と法科大学院

 高校の必修科目の履修不足・単位偽装報道がさかんです。「前から分かっていたことで、いまさらなんだ」という人もいらっしゃるかもしれません。教育改革を声高に主張している安倍政権の誕生と機を一にしているのも面白いところです。
 
 さらに興味を引くのは、法律関係者のブログは、多かれ少なかれ法科大学院の教育とダブらせて論議していることです。以下は法律系以外の人には、「?」の話しになります。すいません。

標記の問題の法律系の方々のブログです。

町村教授のブログ
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2006/10/news_5cbe.html
MOMOさんのブログ
http://diary.jp.aol.com/bfkxuuhuqg4n/453.html
BUCHI研先生のブログ
http://sls.cocolog-nifty.com/buchi/2006/10/post_66c4.html

それぞれ傾聴すべき内容を書いておられます。もっともっとあるのかもしれませんが、わたしが気がついたのは、この方々のブログです。

 法科大学院の教育と司法試験については、いろんな見方があるのでしょうねえ。受験予備校ではない、そういう設立の趣旨がありますから、「特に受験対策はしていない、正規の授業だけで教育しています」と断言する法科大学院がもちろんあります。ところが、その「正規の授業」が「受験対策そのもの」で行われたりする可能性はあります。(わたしの勤務校は違いますよ。クリニックなんて授業を展開させてくれているぐらいですからね、念のため)。

 もともと法律学は、パンのための学問であるところがあります。パンを求める人にやせたソクラテスになれと言っても、貸す耳もたないでしょう。わたし自身はやせたソクラテスになるつもりも、その能力もありません。学生にソクラテスになれというつもりもありません。でも、法律学はパンのための学問だとも思ってはいません。突飛ですが、ケアのための学問だと最近、思い始めています。そんな人間は稀有でしょう(笑)。

 ところで民訴を大学で教えることの意味を考えるときに、わたしはいつも一昔まえのある光景を思い出します。それは、民訴関係者が集まる立食形式の会合で、駆け出しの教師だった私は、壁際でじっと立って、名だたる高名な先生方の顔を遠くから見ていました。そうすると、ある先生がつかつかっと立ち寄ってきて話しかけてくださったのです。
 先生:「ああ佐藤君、キミにかねがね聞きたいことがあったんだ」
 SATOSHO 「は、はい、なんでしょう」(緊張、緊張)
 先生:「民事訴訟法って科目は、なんのためにあると思うかね」
 SATOSHO 「はあ?」
  まさかそんなことを聞かれているとは思っていません。この質問はなんだろう、しばらく逡巡していたら。先生いわく。
 先生 「司法試験のためにあるんだよ。司法試験がなきゃ民訴なんて誰も勉強しないよ、ははは」
 その言葉を残して、その先生は他へ移動されて行きました。

 いまから20年ほど前の話です。法科大学院とはまったく関係のないところの会話です。当時、わたしはまだ30代の若手。あまりの出来事に鮮明に覚えています。
 その先生、私なら、その話しの意味が分かるだろうという感じであったように思います。いまでも光栄だと思っています。

 で、こんな昔話を書いて、何がいいたいか。法科大学院が受験対策に走るのを残念だと思う気持ちは、まったく私も同じなのですが、こと民訴について言う限り、本質的に、そんなところがある、そういう話です。

 民訴に造詣の深い弁護士先生から、「なんで民訴の先生は、既判力の話しにあんなに力をいれるの?、実務じゃまったく関係ないよ」と真顔で聞かれることが何度かあります。ひとりとは限りません。民訴なんか知らなくても裁判はできると豪語する裁判官にあったこともあります。「虚学だよ」と言い捨てた法社会学者もいます。

 ついでにいうと、私は、裁判を起こして幸せになった人を見たことがない、とことあるごとに人に言っています(ちょっとずれますが)。

 で、私はその民訴の教師なんです。ちょっと変った教師のようで、裁判が人の幸せに寄与するような制度であってほしいと願っています。裁判に関わる法律家が、そういう姿勢でいてほしいと願っています。そのための法曹教育を考えています。まっとうな法律の先生は、「そりゃ違うよ、法律の守備範囲外」と言って相手にしてくれないでしょう。

 圧倒的な無力感を感じていますが、それは、たぶん、私の問題への取り組み方が間違っている+足りないからだと考えています。アトの残りの人生でどこまで取り組めるのか、よくわかりませんが、まあ他の道を行く気もありませんのでのんびり行くことにしましょう。高校の単位履修問題と法科大学院の教育問題をダブらせて考えるのは、というわけで、さしあたり止めておこうと思います(なんだ、結論はくだらない・苦笑)。

|

« 秋の恵み | トップページ | 雉本朗造の法律研究所 »

法学教育など」カテゴリの記事

コメント

MOMOさん、コメントありがとうございます。変な文章になってしまいました。
 いわゆる法律基本科目でない科目が、法科大学院の中で生き残れるのかどうか、予断を許しませんね。どうなっても私は私なんです、って年甲斐もなく突っ張っていますが、独りよがりになりつつあります(苦笑)。現ナマ科目よりも漢方薬科目のほうがあったかいと思うけどなあ。

投稿: satosho | 2006/10/31 17:07

トラバありがとうございました。あはは、どうしても、法科大学院での受験対策の問題と重なっちゃうんですよね・・・悲しい性です(笑)。
部外者(と言い切ってよいのか分かりませんが、とりあえず学部専任なので)から見ると、司法試験の合格を目的とした機関である以上、試験のことを念頭に置いた授業をし、試験のことを念頭に置いたカリキュラムを組むことは、ある意味、必然的な気がします(一定の課程を修了すれば、自動的に資格が得られるというシステムなら、別ですけれどね)。問題は、そう考えたうえで、しかし「受験技術」のみに走らない、受験を念頭に置いたカリキュラムをどう組むかだと私は思うんですけどねぇ(部外者なので、無責任な発言です)。

投稿: MOMO | 2006/10/31 11:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73618/12494848

この記事へのトラックバック一覧です: 必修科目偽装問題と法科大学院:

« 秋の恵み | トップページ | 雉本朗造の法律研究所 »