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2008/11/03

虐待大国?

 ことしの6月ぐらいに、日本の児童相談所への虐待相談件数が4万件を越えたことがニュースになった。
  たとえば産経新聞毎日新聞(いずれも6月17日)

 その後も、あちこちで児童虐待のニュースが報道されている。
 直近では、仙台の2歳児への虐待や札幌の8年間監禁事件が有名である。
 日本社会はどうなっているのかと、あれこれ考えたくなる方が多いと思うが、そんな方におすすめの本がこれ。

 原田綾子「「虐待大国」アメリカの苦闘」ミネルヴァ書房(2008)

 この本は、現地アメリカでの丁寧なフィールドワークをもとに、児童虐待を通してアメリカ社会のありようを明確に描き出している。

 アメリカでは虐待件数が比較にならないほど多い。原田綾子さんの著書によると、2000年の数字であるが、アメリカの被虐待児童の数は88万人であり人口や年度の差異を考慮しても日本とは桁違いに多いことが分かる(日本は相談件数が4万件なのである)。
 この数字は決して「日本が少ない」のではない。アメリカは他の国と比較しても格段に多い。
 ドイツ(人口8200万人)で31300人(1998年)、フランス(人口5950万人)で1万8000人(2001年)である。イギリスと比較しても多いらしい。つまり児童虐待はアメリカが突出して多いのである。
 
 このあたり、同書によれば格差社会の進んだアメリカでの貧困問題に主因がありそうだが、それだけではない。原田さんの描くアメリカの児童虐待の扱われ方も日本とはかなり違う。わたしなりにメモを取ってみよう。

 まず担当行政人員が多い
 原田さんの本は、ミシガン州での扱いを描写しているのであるが、同州で児童虐待を扱う行政部局はDHS(Department of Human Service)と呼ばれるセクションで通報に対応する児童保護サービスワーカーが738名、親子分離後のケアを担当するフォスターケアワーカーが731名、養子縁組ワーカー(親権剥奪後のケアを担当するのであろう)が93名(いずれも2005年)である。なお、ミシガン州の2005年の総人口が約 1000万人だそうである。

 つぎに通報件数が多い。
 通報義務が課せられているのでミシガンでの通報件数は年間12万8854件(2005年・全米で330万件)である。通報全部が立件されるわけではなくスク リーンにかけられるそうで、児童保護サービスワーカーひとりあたりの担当件数は25件から60件ぐらいらしい。これは日本の児童相談所の現状からすると、 まだまだ余裕があるらしいが(日本は、児童福祉司ひとりあたりの担当件数が100件をはるかに越えているようだ)、アメリカでのひとりあたり15人という法 定基準からははるかに越えている。やはりワーカーのバーンアウトが多くて、問題になっているらしい。

 司法の関与の度合いがまったく違う。
 虐待通報に伴う強制的な立ち入り調査、その後の予審・公判による処遇決定、そして親子の再統合あるいは親権剥奪の決定にいたるまで、あらゆるプロセスに 裁判所が関与している。そして、その裁判手続を進めるために、親に弁護士をつけ、子供にも親とは別の弁護士をつけ、そしてDHSには当然のごとく弁護士(検察官) がついているので、沢山の法律家が関与する。そのそれぞれが裁判所で、それぞれの立場から、つまりAdversary なかたちでの主張・立証活動を行ない、虐待対応が進展するのである。司法も法律家も関与することが多くない日本の状況とは、雲泥の差がある。

 このように原田さんが描いたアメリカの児童虐待対応の手続は、私には司法主導の福祉手続であると映る。そうした児童福祉政策をとる背景には、「自立自助」を 尊ぶアメリカ社会の精神とともに、子供の養育に失敗している(と思われる)親に対する厳しい責任追及は「社会の仕事」であるとする社会観もあるようだ。だから親の同意がなくても司法の許可を受 けて家庭に立ち入り、親と子供を分離した上で、それぞれの「自立した」手続権を保障するための司法手続が連綿と用意されているのである。

 日本社会では、子供の養育は第一次的に親の責任であり、福祉は親が責任をとれないときに関与する残余的な存在であって、司法にいたってはよほどのことで もない限り関与のチャンスがない。つまり、なにかあっても行政も司法もなかなか家庭に立ち入らない/立ち入れない。アメリカも基本的に残余型福祉であるとこの本では理解されているが、残余の意味が日本社会とは大いに違うようである。これから言えば、母親が監禁しているという父親の相談があっても8年も放置する行政対応はアメリカでは考えられないということになろ うか。

 とまれ、原田さんの本は、こうしたアメリカの姿を高く評価するものではない。いくら司法関与を整備し、多くの法律家が関与し、そのための法律扶助を整え ても、虐待はいっこうに減らない。当たり前である。虐待は法律家が少ないから増えているのではなくて、生活が貧困だから、社会格差が拡大しているから増え ているのである。予算を使うべきなのは、司法や虐待摘発ではなくて、家庭の生活支援なのである。私流に表現すれば、虐待を起こす家庭に必要なのは弁護士の 支援ではなくて、生活の支援なのである。

 アメリカでは、こうした生活支援の福祉予算は次々と削減されてきた。「家族のために支出する社会保障費、すなわち子育て世帯への所得移転や保育サービス などに政府が支出する費用の割合が非常に低い国、子供のいる世帯の貧困が非常に深刻な国、これがアメリカである(同書227p)。こうした社会実態がある にもかかわらず虐待対応に司法で対応する施策をとっている背景には、個人主義的、自由主義的な家族観や自立概念が根強いからではないか、と原田さんは分析 している。原田さんは、アメリカの轍を踏まないために「依存」原理に基づく自由主義の主唱している。ケア型、支援型社会観かと思うが、共感を覚えるところ である。

 それにしても、この本はいい本だ。この本から考えさせられる問題は、児童虐待だけにとどまらない。障害者虐待や高齢者虐待を考えるときにも参照されるべきだし、権利擁護活動における法や福祉の役割にも貴重な視座をあたえるものである。日本の若いアカデミズムの力を感じさせる。こういう本に出会えるのであるから、まだまだ私も長生きをしたいものだ(最期のコメントは、我ながらおっさんクサい)。

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