障害者の告訴能力?
ここ数日、福祉関係者の間で、標記の件にかかわる新聞報道についてのコメントが飛び交っている。震源地は9月29日の宮崎地裁延岡支部判決だ。わいせつ行為の被害を受けた女性の告訴を「知的障害があり、告訴能力がない」と判断したようでだ。
読売新聞の記事
被害女性に知的障害、裁判所「告訴能力なし」
宮崎地裁延岡支部が、わいせつ目的誘拐と強制わいせつ罪に問われた男について、公訴棄却の判決を言い渡していたことが分かった。
両罪とも被害者の告訴が必要な親告罪で、同支部は被害者女性に知的障害があり「告訴能力がない」と判断した。
宮崎地検延岡支部は29日、判決を不服とし福岡高裁宮崎支部に控訴した。
地検の発表によると、起訴されたのは宮崎県高千穂町向山、無職被告人(60)。起訴状では、被告人は2月11日、高千穂町内で、県内の20歳代女性を乗用車に乗せ、体を触るなどのわいせつな行為をした、としている。判決は16日にあった。(固有名詞を消して、ささいな表現の誤りを訂正してい る:satosho)
(2009年9月30日00時45分 読売新聞)
この件については、名川さんがすでにレポートをしていて、そのブログからいくつかの解説ブログにアクセスすることができる。
http://d.hatena.ne.jp/mnagawa/20090930/1254305497
http://d.hatena.ne.jp/mnagawa/20090930/1254299197
http://d.hatena.ne.jp/mnagawa/20091002/1254495544
私もほかのブログなどをいろいろ見てみたが、どうも、世の中の人は、障害者は能力があるのかないのか、はっきりしてほしい、と思っているようだ。しかも能力があるとすれば、告訴だろうが民事提訴だろうが、遺言だろうが結婚だろうが、みんな能力があると考えたい(逆の考えの人は、そんな能力はどれもないとしてほしい)。。。そんな「一律」「一括」「レッテル貼り」思考が強いようである。
しかし、障害のあるなしに関わらず「能力についてはレッテル」張りをしない、のが通常の法律家の考えである。(現実には、レッテル張りの強い人もいるかもしれない)。
私のコメントは、次の通り:
法律上の行為を行うに必要な能力の具備は、「行おうとしている行為」を「行おうとしている時のご本人の状態」との関係で、その都度判断するしかない。
これがいまの日本の法律家の基本である。
この報道事件の場合、もう少し平たく言えば、ご本人に告訴の意味がわかっているかどうか、これが問題視されているのである。ここのところの判断が、担当検察官が甘かったというべきか。そうかもしれない。ただ、報道されている事実関係では、具体的な事情は(ご本人の障害の程度も含めて)なにもわからないので、まともなコメントはしようがないというべきであろう。
結局、コメントになっていないのか。ははは。
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