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2010年7月

2010/07/23

青森の逸失利益判決

去年の暮れに青森地裁で、事故で死亡した重度障害者の損害賠償につき、就労可能性を認め最低賃金を基礎に算出して逸失利益を認めた判決があったことを紹介しました。紹介記事はこちら
そのときは、控訴されるかどうか不明であったのですが、最近の判例時報をみると地裁で確定したようですね。

青森地裁判決平成21年12月25日 判例時報2074号113頁


どうでもよいコメントを二つ。
その1、クリスマスの日に判決ですね。これは知的障害者に対するクリスマスプレゼントなのかな。
その2、言い渡し当日に判例データベースに判決内容がのることがある昨今、この判決は、半年以上たって掲載されています。ちょっと時間がかかりすぎの印象ありです。

とまれ、判決の該当部分だけ紹介しておきますね。
この判決は、被害者が居住していた施設で、同じ施設の利用者から暴行を受けていたこと、入浴に際して施設職員の過失により死亡したこと(てんかん発作をおこしたようですね)を認めて、被告社会福祉法人の法的責任を認めた上で、損害論を展開しています。以下は、その部分の中の逸失利益に関わる部分です。


  (4) 亡一郎の逸失利益について
   ア 亡一郎の基礎収入について
 (ア) 上記認定のとおり,亡一郎は,重度の知的障害を有しており,寮等の知的障害者支援施設において,就労も視野に入れた基本的な生活知識や技術等を教育されていたものであり,本件死亡事故当時には,身体的機能については何ら問題はなく,絵や写真等により行うべき作業を示されると,その内容を理解することができ,ドリルによる穴開けや釘打ちなど,危険性を伴うものの,操作自体は容易である工作機械や工具を用いた簡易な作業を行うことができたほか,平仮名や片仮名については読むことができたものである。
 他方において,亡一郎は,就労において必要不可欠というべき社会的規範やルール等に対する理解やコミュニケーション能力等において,なお不十分であったといわざるを得ず,このような亡一郎の状況に鑑みれば,直ちに一般的な就労可能性があったとするのは困難というほかない。
 しかしながら,亡一郎は,本件死亡事故当時は16歳であり,養護学校の高等部や寮での教育・生活指導を受けることで,その卒業時までにおいてもさらに成長することが期待され得るというべきである。そうすると,亡一郎は,養護学校の高等部卒業時点において,他人の支援や介助を全く必要とせずに就労することが可能となるまで成長しえたというのは現実的に困難であるとしても,かかる支援や介助を得ながらであれば,亡一郎は簡易単純な作業には十分に従事しうるまでに至っていたものと考えられるところである。
 さらに,今後の医学,心理学,教育学等の進歩,発展等を考慮すれば,現在,完治という意味においては治療不能とされている自閉症に対する治療法が見出される蓋然性があるとまではいえないとしても,自閉症を含む知的障害者に対する指導,支援の方法について,徐々にではあってもより効果的な手法をもたらす知見が得られる蓋然性はあるというべきであって,このような見地に立つと,亡一郎が,上記のような生活支援及び就労支援を受けながら,一定の作業に従事しつつ,社会生活を営むことにより,将来,さらにその能力を高め,より高度な労働に従事し得る能力を獲得する一方,就労に際して障害となる行動的特徴をより抑制することが可能となる蓋然性もあるというべきである。
 以上の点を総合考慮すれば,亡一郎には,健常者と同程度の就労可能性があったとまではいうことができないものの,一定程度の就労可能性はあったというべきである。
 (イ) 原告らは,亡一郎の逸失利益の算定に際し,賃金センサスにおける全年齢の平均賃金を基礎収入として計算すべきであり,賃金センサス平成14年第1巻第1表産業計全労働者の平均賃金額である494万6300円を基礎収入とすべきと主張するところ,この主張は,亡一郎に一般企業への就労可能性があったことを前提にするものと解される。
 確かに,上記認定のとおり,現在,障害者雇用の促進やノーマライゼーションの観点から,知的障害を有する者を含む障害者の雇用を積極的に行っている一般企業も増えつつあり,一般企業における知的障害者の就労機会は徐々にではあっても拡大しつつあるといえるから,亡一郎が将来的に一般企業に就労する可能性が全くなかったとまではいうことができない。しかし,上記認定のとおり,現状としては,このような企業は依然としてごく少数であり,その受け入れ可能な定員も必ずしも多数とはいえず,平成10年から平成19年までに養護学校の高等部を卒業した169名のうち,一般企業へ就労した者は僅か3名であることに照らしても,知的障害を有する者が一般企業で就労することが極めて困難であることは否定できない。そして,仮に亡一郎が一般企業に就労することができたとしても,現在において予測可能な範囲においては,重度の知的障害を抱える者が健常者と同程度,同内容の労働を行うことは,その将来にわたる発達可能性を考慮しても不可能であるといわざるを得ず,労働の対価として健常者と同程度の賃金を得ることも極めて困難であるというほかないのであって,重度の知的障害を抱える者の賃金水準を可能な限り健常者の水準に近づけることが理想的であり,行政や企業においてこれを実現しうる施策等をとることが望ましいとはいい得るにしても,上記のような現実は直ちには動かし難いというほかない。以上の点に鑑みれば,原告らが主張するように,亡一郎の逸失利益の算定において,賃金センサスの産業計全労働者の平均賃金額を基礎収入とすることはできないといわざるを得ない。
 したがって,原告らの上記主張は,理由がないというほかない。
 (ウ) もっとも,上記説示のとおり,知的障害者が一般企業へ就労する機会が増えつつある現状に鑑みれば,健常者の賃金水準には劣るとしても,知的障害者がその有する能力を十分に活用することができる職場において就労する機会を得て,授産施設における作業による賃金と比較すれば高水準の賃金を得ることも可能な状況になりつつあるということができ,このような状況は,障害者に対する理解が遅々としたものではあっても徐々に深化してきていることを示すものというべきであって,今後も将来にわたって,知的障害者がその能力を十分に活用することができる職場が徐々に増加することを期待し得るものというべきである。
 他方,上記説示のとおり,死亡当時16歳にすぎなかった亡一郎も,今後の長い社会生活の中で,徐々にではあってもその就労能力を高めることができた蓋然性があるのであるから,上記のような知的障害者雇用に関する社会条件の変化をも併せて考慮すれば,後に説示するとおり約50年にもわたる就労可能期間を残して死亡した亡一郎が,自閉症を含む重度の知的障害を抱えながらも,その就労可能な全期間を通して相当の賃金を得ることができた蓋然性を否定することはできないというべきである。
 (エ) 以上に説示したところによれば,亡一郎は,その就労可能な全期間を通して,一定の生活支援及び就労支援を受けることを前提として,少なくとも最低賃金額に相当する額の収入を得ることができたと推認するのが相当であるというべきである。したがって,亡一郎については,最低賃金額を基礎収入として逸失利益を算定すべきである。
 (オ) ところで,原告らは,青森県における平成16年度の最低賃金額に基づく亡一郎の基礎収入の算出において,1日あたり8時間の労働時間と1か月あたり25日の稼働日数を前提とする計算を行っている。
 この点,1日あたりの労働時間については,重度の知的障害を有する者であっても,8時間の労働をこなすことが不可能であるとすべき根拠はないというべきであるが,1か月あたり25日の稼働日数を前提とすれば,毎月の休日が5日ないし6日ということになり,健常者の一般的な就労状況と比較しても,過重な稼働状況であるといえる上,重度の知的障害を有する者にとって,1日あたり8時間の労働を連日にわたって行うことは身体的に相当の負担となるものと考えられるから,上記の程度の休日を前提として1か月あたりの稼働日数を考えることは相当でないというべきである。
 以上の点を総合的に考慮すれば,1か月あたりの稼働日数は,20日とするのが相当というべきである。
 そして,弁論の全趣旨によれば,平成16年当時の青森県の最低賃金額は605円であると認められるところ,以上の認定説示を前提に,亡一郎の基礎収入を計算すると,以下のとおり,年額116万1600円となる。
 青森県の1時間あたりの最低賃金額 605円
 1日あたりの収入(8時間労働) 4840円
 1か月あたりの収入(20日間稼働) 9万6800円
 年収(基礎収入) 116万1600円
   イ 亡一郎の生活費控除について
 原告らは,亡一郎の生活費控除率を5割として逸失利益の計算を行っているが,既に説示したところによれば,亡一郎は,重度の知的障害者として,日常生活において様々な支援や介助を受けることを要し,医薬品等に係る自己負担分の費用の発生も見込まれるというべきであり,その就労の際にも支援や介助を要することは否定しがたいものといわざるを得ない。そして,このような支援や介助を受けることについて,亡一郎においても一定程度の経済的負担を余儀なくされることが見込まれるというべきであって,亡一郎の生活費として支出されるものとすべき金額は基礎収入の5割を超えるものと考えざるを得ない。
 そして,諸般の事情を総合考慮すれば,亡一郎の逸失利益を算定するに当たっては,その生活費控除率は7割とするのが相当である。
   ウ 中間利息控除
 亡一郎の就労可能期間については,18歳から67歳までとするのが相当である。そして,中間利息控除においては,ライプニッツ係数を採用して計算するのが相当であるところ,ライプニッツ係数の値は,死亡当時16歳10か月であった亡一郎が就労可能な67歳に至るまでの期間に対応する18.256から,18歳になるまでの就労前期間(約1年2か月)に対応する0.952を控除した17.304となる。
   エ まとめ
 以上によれば,亡一郎の逸失利益の額は,以下のとおり,603万0098円と算出されるところ,これを各原告が2分の1ずつ相続した結果,各原告が請求できる金額は,301万5049円となる。
 1,161,600×(1-0.7)×17.304=6,030,098

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2010/07/22

おかげさまで

 突然ですが、私どもの家族は,ずいぶん安定しました。これがどこまで続くのか、よくわかりませんが、次男は、この5週間ほどは、通所施設へ皆勤です。

 これはレコードだと思っていたら、施設の職員さんが作ってくれてデータをみたら、昨年の5月から6月にかけて6週間ほど皆勤していました。それに次ぐ記録ですね。5月から7月にかけて、この時期は調子がいいのか? いや、その前年のデータではそうでもないから違う要因か?、もう少し検討が必要な気がします。が、安定度はいまが高いですね。なぜそう思うかというと、関わりのある方々とのやりとりがあるからです。

 とにかく、この間、家族がこの20年間で初めての経験を味わっていることも事実です。家人も長男も、この20年間で初めてだと言っています。ショートステイを使っているワケですが、入所施設にお子さんを預けた親御さんの感覚も同じようなものではないかなあと思います。

 こうなると大切なのは、本人がどう思っているかですよね。泊まりの施設が楽しいのか、日中活動の施設が楽しいのか、それとも自宅が楽しいのか、コトバがありませんから、状況を知っている人のそれぞれのナマの意見を聞きながら判断するしかないです。そのための意見交換会は、ものすごく大切です。で現状では、施設に家族が負けている(苦笑)、そんな報告があるから、ちと考えること多い状況ですね。でも・・・やるぞ、お父さんは・・・ははは。

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2010/07/20

幻の酒

 ちょくちょくお酒を頂戴すると書きましたが、その続編です。こんなものを鹿児島県出身の京都の友人が送ってくれました。

 

Nec_0016

じゃじゃーん。わかりますかね。森伊蔵です。もう、もったいなくて飲めない・・・・(苦笑)。
友人も酒好きなのですが、「たまたま手に入ったので」と送ってくれたのです。いやあ、持つべきは友、というか、「あんた自分で飲まないの・・・」と思わずいったら、いやあんまり興味ないとのこと。ほんまかいなあ。

 さて、この酒、いつ飲むか。・・・いまごろ京都は熱いだろうなあ。大文字は終わったのかもしれないが、この時期の京都盆地の暑さは半端じゃない。

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2010/07/18

茨城の成年後見とブルーベリー

 先日木曜日に、水戸に行ってきました。県内の知的障害者相談員の方々の研修会で成年後見のお話をする機会をいただいものです。「知的障害者相談員」とは地元の育成会が県から受託している事業のようで、多くはご家族の方々が相談員になっているようですね。で、そのつもりで出掛けていったのですが、県内の市町村の障害福祉課の方々も沢山お見えになっていて、おもわず行政に対する熱い期待を語ってしまいました。ご参加のみなさま、熱心に聞いていただきありがとうございました。

 水戸は、駅北口を出て裁判所まではなんどか往復したことがあるのですが、南口に降り立ったのは今回が初めてで驚きましたねえ。再開発が進んでいて北口とはまったく違う街になっています。北口が旧市街、南口が新市街というところでしょうか。時間があればゆっくりとあちこち歩き回りたいところでした。

 ところで、共時性というコトバがありますが、ものごとは重なります。まえに鳥取ネタが重なりましたが、今回は茨城ネタです。どういうことかというと、この講演の2週間ほど前に茨城の知人からブルーベリーが送られてきたのです。

Nec_0039


 一粒一粒が丁寧に作られた種なしブルーベリーです。とても美味しいですよ。やや大粒で食べ応えがあります。家族全員で、うまいうまいとあっという間に食べてしまいました。
 このブルーベリーは正見園という自閉症の方が栽培している畑で作られています。サイトもあります。
 http://www.speedway.ne.jp/~b-road/

一度、現地を見に行ってみたいとは思っているのですが、なかなか機会がなくて。でも美味しいつながりは、ちゃんとつながっていますから、それでいいのかもしれませんね。

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2010/07/15

選挙権話題(続)

(今朝方アップしたのですが、その後、リンクが間違っていることに気が付きましたので、訂正・加筆しています。(10/7/15 Thu pm:16:13)

先日、障害者の方、認知症の方の選挙権の話題をアップしたら、次々と関連ニュースを知らせてくれるヒトがいる。
毎年逮捕される支援者がいると書いたが、今回の参議院選挙でも下記の話題がでたようです。

まず認知症関係:
●特養入所者の投票 不正代書の疑い 県警 中央市の施設幹部2人逮捕/山梨
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/07/14/1.html

次が障害者の就労先:
●従業員の知的障害者らに投票働きかけた疑い 社長を逮捕/栃木
 http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201007130487.html

●同上【参院選投票干渉事件】知的障害者大半が代理投票 佐野市選管、県と協議へ

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/accident/news/20100715/351398
下野新聞の記事は息が長いです。知的障害者の方々が、選挙権を行使できるような工夫を考えてほしいものです。

http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001007150001

最後は知的障害者の授産施設;

●笛吹市の知的障害者授産施設「美咲園」の入所者に参院選で特定の候補者に投票するようメモを渡したとして公選法違反(投票干渉)容疑で同施設施設長が逮捕された事件
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/news/20100712-OYT8T01252.htm

これにつては、山梨日々がいち早く7日に伝えてますね。こちらの方が、記事の命が長いから掲載しておきます。
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/07/07/1.html

また、山梨日々は、障害者の最期のケースについて、こんな分析記事も掲載しています。なかなか、現状をよくとらえていると思います。

●「投票誘導」チェック困難
笛吹選挙違反 代筆OKの知的障害者、メモ持参も”権利” 判断力養成求める声も
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/07/13/5.html

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2010/07/10

認知症の方の選挙権

昨日、知的障害者と選挙権の話を書いていたら、知人が次のような新聞記事を知らせてくれました。ご高齢の方の場合も同じ問題がありますよねえ。

認知症、一票は 朝日新聞神奈川版 7月9日記事

 昨年9月、朝日新聞の声欄に、認知症の妻を総選挙の投票所に連れて行ったが、自分の意思が告げられず投票できなかったという投書が載った。今後増えていくといわれている認知症。その一票をめぐる環境はどうなっているのか。参院選を前に、現場の声を聞いた。

  ○ 投票できぬケースも
  川崎市麻生区の男性(74)は認知症の妻(74)を在宅介護している。要介護4の妻は字を認識できず、名前を見て候補者を選ぶことができない。区の選挙管理委員会に確認したら「その状態では投票できません」といわれた。「字は認識できないが、日常の会話はできる」という男性は「投票できないのは人間としての大事な権利を奪われたのと同じ。認知症の人こそ言いたいことがたくさんあるはず」と憤る。

  ○ 一定の意思表示必要
  制度はどうなっているのか。県選挙管理委員会によると、投票は、自分の意思を表示する制度なので、投票する人が、一定の判断を示すことが求められるという。字が書けないなど介助が必要な場合は「代理投票」という方法があるが、意思表示ができないと投票できない。

 

  ○ 「症状次第で投票は可能」 専門医
  「残念ながら、認知症がかなり進んで判断能力が全くなくなってしまった意思を投票に反映するのは難しい」。認知症の専門医で家族会の活動にもかかわっている杉山孝博川崎幸クリニック院長は語る。「けれど認知症の症状は本当にさまざま。認知症でも投票できる人はたくさんいることを知ってほしい」
  投票に必要な判断能力がある人でも、投票所という特殊な場に来たことで一時的に混乱することもあるという。
  認知症の高齢者など自分で十分に判断できない人の財産や権利を守るために作られた成年後見制度では、その人の判断能力に応じて「後見」「保佐」「補助」の3種類に区分される。最も重い「後見」になると、選挙権がない。けれどこれまで診断書や鑑定書を作成したことのある杉山医師は「財産管理の面から『後見』と区分された人でも、投票はできるのでは」と感じることもあるという。
  「一番怖いのは、認知症の人はすべて意思表示ができないという思いこみです」


これがこの記事の素材となった1年まえの投書のようです。

  ● 認知症の妻は投票所で棄権 -「声」欄から抜粋-
  総選挙の投票日、妻と一緒に投票所を訪れた。妻は認知症で、今では自分の名前も書けない。
  60年近く連れ添ったわが女房。彼女の気持ちはよく分かっている。鉛筆を握らせ、候補者名を一緒に書こうとした。その時、係員からストップがかかった。
  「ボードの候補者を名指ししないと投票させません」と係員。私は「少しくらい大目に見てよ。前回と同じように頼みますよ」。しかし、「本人の意思表示がないと……」と譲らず、投票立会人も知らん顔だった。
  字を書くのもおぼつかない妻を投票所に行かせたのはなぜか。妻が入所する施設では、この1年余で職員4人が辞めていった。社会保障費の自然増分を2200億円削る影響を目の当たりにしたからだった。温かみのある福祉予算の計上や法律をたてに弱い者いじめをしない社会を、新政権に望んでやまない。
(09年9月11日付)

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2010/07/09

AAPEPと選挙

 昨日、期日前投票にいきました。すごい混みようです。受付の前は長蛇の列。政党名を記入する比例区のしくみが変更になっていて少し戸惑いました。

さて投票に行く前に投票所入場整理券を見てみると家族4人の整理券が全部ありました。そこには、我が次男の名前もあります。もう二十歳を超えていますから当然でしょう。ほーー、来てるねえ、と家人に告げて私だけ投票所へ行きました。

昨日、次男のAAPEPの検査報告をご担当の方から詳細に聞きました。この検査、私の予想以上に的確です。家族の事前アンケートだけでなく、通っている事業所のアンケート、そして担当者の方が直接、本人面接していろいろチェックする直接観察の結果を踏まえて、実に丁寧な考察を加えているのです。そうとうな時間を割いてくださっていることは間違いありません。関係者の方に感謝・感謝です。

結果は,私の予想(希望)よりも次男の能力を低く評価してあり、説明を受けてなるほどと思うと同時に、できるところとできないところを無視して、あれこれ支援することが、本人をいかに混乱させているのか改めて反省するところ多々ありました。

で、検査項目の中に当たり前ですが、自分の名前を書けないというものがあります。そりゃそうですよ、文字はまったく書けない。ことばがないのです。で、はじめの話なのです。その彼に投票所入場整理券が来ています。おそらく実際に使うことはないでしょう。

AAPEPの結果は、障害程度が最重度であることを示しています。でも「だから」彼に選挙権は与えない、と言われると私はおかしいと思います。彼は、一個の人間であり、「自分の意思」というものを明らかに持っています。AAPEPの結果を見ても、そのことは分かります。いや日頃一緒に暮らしていれば誰でも分かります。

もし彼に投票行動がとれて、投票できれば、その意思を尊重すべきでしょう。彼に成年後見人をつければ、選挙権がなくなります。なぜ彼の選挙権を奪うのでしょうか。判断能力がないから?。しかし、成年後見で問題にしている判断能力は財産管理能力でしょう。政治的な思想信条をもつ能力を家裁が判定しているとはとても思えません。彼に選挙権があることで、国政に混乱が生じるから?。これもおかしいのです。最重度の人は実際に投票行動がとれないから、選挙権があろうがなかろうが、国政に投票行動を通じて影響を与えることは現状ではありえないのです。では、もし実際に投票行動がとれる程度の障害者がいたとして、その人の投票権を奪う理由は、なんでしょうか。判断能力がないから?。繰り返しになりますが、家裁はそのような意味での判断能力を判定しているワケではありません。そのような人は、適切な判断ができないから?しかし、A党に入れた人は適切ではなくて、B党に入れた人が適切である、などと判定する尺度が選挙制度にはあるのでしょうか。それは結果で決めるとするのであれば、選挙に負けた政党の関係者や投票者の選挙権をみな奪うしかない。そんなことは誰も考えないでしょう。投票というものは、そういうものです。

 もっとも、この問題はもっといろいろ考察しなければならない話があるように思います。たとえば未成年の子供に選挙権を与えないこととの比較です。しかし、これも正確な比較ではないようにおもいます。未成年の人はいずれ成年になります。つまり、いま必ずしも根拠のはっきりしない大人側の事情で選挙権を剥奪されていますが、いずれ選挙権を与えられることが約束されているのです。ところが成年後見人をつけた場合、その人の選挙権が復活することは現実にないでしょう。完全に政治社会から抹殺されるのです。なぜ、そこまで社会は障害者を嫌うのでしょうか?。それが分からない。そんなことを考えた一日でした。

選挙の時期になるとどこかで施設長が逮捕されています。投票者名を指示したというのがその大半です。ですが、選挙運動一般は、投票者を指示するのでしょう。菅さんも谷垣さんも、そのほかの方々も投票者を選挙民に指示しているのでしょう。ここが実は一番の問題です。障害のない人達に、この人に投票してくださいと御願いしたら、それは合法な選挙運動であり、障害のある人に同じことをしたらそれは違法な選挙運動である、というのはなぜでしょうか。障害のある人への選挙運動は、形の如何を問わず違法なのでしょうか。誰が立候補しているのか、どんな人なのか、そんな説明をすることを苦労しながらしているのでしょう。数年前につくば大学の学生がお金をもらって特定候補に投票したという事件がありましたが、この事件を契機につくば大学の学生の選挙権を剥奪せよという話は聞いたことがありません。当たり前だと思いますが、その当たり前のことが障害のある人に対しては、当たり前でなくなるから不思議です。

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2010/07/06

韓流性犯罪予防

先日、韓国の虐待報道を少しご紹介したが、こんなニュースも流れていました。


韓国国会、対児童性犯罪者の「化学的去勢」法案を可決

 

  韓国国会は6月29日、児童への性犯罪者に対する再犯防止法案を可決した。中国新聞社が伝えた。

  この法案は「児童への性犯罪者に対する、再犯および常習化防止のための予防および治療法案」という名称で、通称「化学去勢法案」と呼ばれている。2008年に国会に提出され、審議を経て29日の国会で投票が行われた。その結果、賛成137、反対13、棄権30で賛成多数により可決された。

 生殖器の切除など物理的な方法を主張する人もいたようだが、ホルモンを用いた化学的な方法が採用されたらしい。
 「決める」国だと思う。日本だと、こんなことは延々と議論して(あるいは議論もしないで時間だけかけて)、会期末の時間切れで廃案になるのがオチのような気がする。日本は決めない国なのである。どっちがいいとか悪いとかいう話ではない。この問題については、そう簡単に決めて欲しくない、という気持ちもする。

 ちなみに、韓国では2008年9月より性犯罪者に対して「位置追跡電子装置」を強制的に装着させる法律を施行している。 
 昨年の暮れにこんなニュースが流れいた。

韓国が性犯罪者に位置追跡装置、中国では「見習うべき」との声
2009/12/23(水) 14:54 

  22日、韓国は性犯罪や殺人、強盗、放火の犯罪者に対して「位置追跡電子装置」(電子アンクレット)を強制的に装着させるとした「特定犯罪者に対する位置追跡電子装置装着などに関する法律」の改正案を閣議決定した。チャイナネットが伝えた。

 改正案では、電子アンクレットの装着期間は現行の10年から30年に延長されるほか、装着期間を最短でも1年以上とした。また、満13歳未満の児童への犯罪に対しては、電子アンクレットの装着期間は下限を2倍まで加重できるとした。

なんだか妙なものはつけされられるわ、ホルモン打たれて去勢させられるはで、隣国のm性犯罪者(と判断された人)は大変だ。で、そうした施策として児童性犯罪が減ったのかどうか、そこらあたりのデータを知りたい。直接的な施策なので、データとしては速効ででているはずだ。

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2010/07/03

権利能力なき社団に対する強制執行(朝鮮総連ビル事件)

6月29日に最高裁が、権利能力なき社団の所有(構成員の総有)にかかる不動産について、その権利能力なき社団に対して債務名義をもつ(勝訴判決)金銭債権者が強制執行をする方法を示した判決を言い渡した。

29日に言い渡して、その日のうちに最高裁データベースに搭載され(商業データベースはまったく追いつけない)、その日の内に北大の町村先生がコメントをブログで書いている。いや早いなあ。

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2010/06/arret-36d8.html

最高裁判決はこちら 最判平成22年6月29日最高裁データベース

この事件は、町村先生ご指摘の通り、民訴的にとても興味深い判決です。そして、事実関係的にも実に面白い事件で、マスメディアはそちらの側面で取り上げています。

たとえば毎日新聞の6月30日の記事

朝鮮総連:競売訴訟 総連本部、差し押さえ可能 最高裁「資産認定確定すれば」
 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部が入る東京都千代田区の土地建物を差し押さえるため、整理回収機構が登記上の所有者に対する執行文の付与を求めた訴訟の上告審判決が29日、最高裁第3小法廷であった。近藤崇晴裁判長は執行文付与を認めず機構側敗訴とする一方で、「土地建物が実質的に総連の資産と認めた確定判決があれば、差し押さえは可能」との判断を示した。差し押さえ実現に道筋を付ける判決となった。

 中央本部の土地建物は、総連議長が代表社員を務める合資会社「朝鮮中央会館管理会」名義で登記されている。機構は総連に債権約627億円の支払いを求めた訴訟で全面勝訴したが、土地建物の差し押さえに必要な管理会に対する執行文を東京地裁が付与しなかったため、付与を求める裁判を起こした。

ほかに沢山のメディアが報道していますが、記事が消えないことを祈って西日本新聞をあげておきます。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/181333

この最高裁判決は、結論的には執行文付与を認めなかったのですが、権利能力なき社団である朝鮮総連の所有であることを確認する判決があれば、直接、強制執行ができる、と判断しています。こっちはダメだけど、こういうやりかたがあるよと親切に教えてあげた判決ということになりましょう。

そして、その教えてくれた内容が、承継執行文の付与をもって行うという従来の考え方を否定して、朝鮮総連の所有であるとの朝鮮総連と管理会相手の確認判決があれば、直接、朝鮮総連相手に強制執行ができると判断したのですから、これは画期的な新判断です。なんだか、権利能力なき社団の訴訟上の取り扱いでもやもやしたところが、少し明瞭になったと思います。

なお、この判決の原審については、上智大の田頭章一先生が、判例時報2072号198頁(判例評論616号36p)で解説されています。

ところで、この朝鮮総連ビル、もともと登記名義は管理会だったのでしょうか。ご存じのように、元公安調査庁長官だった人が代表を務める投資会社に名義をいったん移転したとして、緒方元長官が逮捕され、朝鮮総連側の代理人である元日弁連会長の土屋さんとの関連もいろいろ取りざたされたことがあります。

朝鮮総連本部ビル売却問題

いろいろですなあ。

あ、こんなサイトもありました。
http://japanlaw.blog.ocn.ne.jp/japan_law_express/2010/06/post_7c36.html

http://japanlaw.blog.ocn.ne.jp/japan_law_express/2009/03/post_6b48.html

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2010/07/01

父親の役割?

今日、とある人と酒席をともにしていて、障害者の父親とは?、という話になった。

で、とある人いわく:我々は第4世代である。

(一同)ほーーー。(私satoshoは知らなかった)。

(同席者の質問)で、それはどういうことですか


ちなみに、上の回答で「我々」とは、とある人とsatosho も含めてという意味である。以下の文章を読むと「とある人」が誰であるか、特定されそうだが、まあ、それはそれでご勘弁いただきたい。また少し脚色が入っている。

(とある人)第一世代の父親は、自分が障害者の父親であることを、家族以外には隠し通して、障害福祉関係者とも関係をもたず、すべてを母親にまかせて生きている/生きてきた人達。

(一同)なるほど・・・

(とある人)第二世代は、ときおり施設のイベントに参加し,エプロンつけて焼きそば焼いて、母親の手助けをしている父親達・・・

(一同)なるほど・・・

(とある人)第三世代は、自分で積極的に福祉事業にのりだし、施設や作業所を立ち上げ、その経営に参画する父親。知的障害者の福祉現場で働いている父親は、この世代が多い。

(一同)なるほど・・・、ということはその父親達は、親であると同時に福祉事業者なんですね・・・

(とある人)そのとおり。さてわれわれ第四世代は、福祉事業の職の中で活動するのではなくて、自分の仕事の中に障害者の福祉を入れようとしている。たとえば、医療、報道、司法、行政、金融、教育、出版などなど、福祉職として働いているわけではないが、障害者と接する機会のある、あるいは影響のある職種はいくらでもある。そういう職種についている父親達が、自分の職業として障害者の父親であることを活かした仕事をしようとしている、これが第四世代です。

(一同)おおお、なるほど。

さて話はここでいちうおう終わったのですが、同席者の中にシツコイひとがいて次の質問が飛びました。

(しつこい人)で、第5世代はどうなりますか。

(とある人)え、うーーん。そうですねえ。

この質問は、とある人も想定していなかったようです。私も明示的に考えたことがなく、とある人に続いて回答をもとめられても、回答できませんでした。

で、家に帰って考えました。上記世代役割の定義は、あくまでも思考の便宜のレッテル張りですから、そのようなものとして理解することが必要であること、それを前提にすれば、個別にはいくらでも違う人がいること(ちなみに、私自身は第四世代ではなくて、3,5世代ぐらいかと思っています)、これに留意する必要があるでしょう。

で、そういう意味での第5世代なのですが、今日の酒席では答えられなかったのですが、いま思うに、父親と母親の役割分担がなくなる世代かなあと思います。父だ母だというのは身体的な性差が当然に伴いますが、今の若い親御さん達をみていると、それ以上の役割上の区別を感じません。

 なので、エプロンをして焼きそばを焼くのがお母さんであってもお父さんであっても、まったく平等でなんの違和感もありませんし、事業所や作業所の理事長に父親も母親も当たりまえに就任しているでしょう。

 つまり父親の特徴として語られる現象が全く特徴たりえなくなっているのです。ただ多くの家族で言えば、第二世代、第三世代がまだまだ多いでしょう。第4世代が目立はじめていて、第5世代がじわじわ浸透し始めている、そんな状況なのかと思います。第一世代の父親は、さすがに今ではいないと思いますが。

 さて、上記の話をしていて私は、中根さんという方のご著書を素材にすこし文章を書いたことを思い出しました。下記です。

中根成寿(なるひさ)「知的障害者家族の臨床社会学」明石書房(2006)

http://www.satosho.org/satosholog/2006/09/post_389c.html

http://www.satosho.org/satosholog/2006/09/post_e619.html


http://www.satosho.org/satosholog/2006/09/in_a_deferent_v.html


http://www.satosho.org/satosholog/2006/09/post_4510.html


いま読み返してみても意見は変わりません。それどころか、父親と母親の区別がなくなりつつある社会で、父親の役割を論じる意味がどこあたりにあるのかを探る必要にあらためて気がついています。本人中心からみれば、問題設定を変える必要があるでしょう。ついでにいうと親なきアトという問題設定も、親中心の問題設定です。

こうした課題設定は、たぶんなくならないとは思いますが、比重は下がると思います。父親や母親の役割を議論することは、その人たちに負担をどの程度強いるかという話に直結するのですが、それは。おかしいでしょう。家族の役割ではなくて社会の役割なのだろうと思います。そうした問題設定が行われないままに、父親や母親、あるいは姉弟の役割を議論しても、ほとんど意味がないというのが私の現在の見解です。

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