福島報道に思うこと
3月11日を前後して東北大震災そして福島の原発の記事やニュースがマスメディアであふれかえっています。苦労した人、悲しい思いをした人、さまざまななドラマが語られています。それはそれで私たちが耳を傾け、目を向けないといけない現実だと思います。でも、私にはもう一つの語られていない事実があると思えてならないのです。震災直後、「年間100ミリシーベルトの被曝までは安全」と言い放った長崎大学教授や、「プルトニウムなんて飲んでも大丈夫」と放言した東大教授達は、いまどうしているのでしょうか。科学者として発言されたのですから、いまの段階でご自身の発言に対して、どういう見解を持っているのか聞いてみたいと思いますし、この人達は発言すべきだと思います。
そしてマスメディアは、それをどうして報道しないのか、そんな思いを持っています。この人達は、科学者として発言したのですから科学的根拠があったはずです。そうだとすれば、いまでも同じ発言をするべきだと思います。そして社会に対して責任を持つべきだと思います。逆に東電の意向で発言していたのなら発言を辞めるべきだし、現実に今は発言をしていないのですから科学者としての発言ではなかったのかもしれません。しかしそうだとすれば、この人達は社会を裏切ったのです。それだけでなく科学そして学問を裏切ったのです。いま福島に何人かの「専門研究者」が入って活動をしていることが報道されていますが、彼・彼女達は自分達の先輩科学者が発言した内容を否定していません。なぜでしょうか。それでいて自分たちは御用学者ではないと主張している報道がありました。先達に対する真摯な反省がないままで自分たちが御用学者でないということはできないのではないでしょうか。真摯な反省なくして、誰が何を信用するのでしょうか。専門家はキチンと反省すべきだし、マスメディアはそうした面を報道すべきです。それが学者であり専門家だと思います。
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