民訴判例百選第4版
今月、民訴判例百選第4版が出版され、大学で民訴を教える人たち(私もそうです)は、これまでの教材を変更したり、再検討したりされていることだと思う。今回の4版は、私の個人的な感想としては、かなり教材として洗練されているように感じる。
それは1)掲載判例を厳選し数を少なくしていること、2)新判例を追わず、原理原則を考える教材として適切であれば、あえて古い判例を掲載している、ことなどに現れている。
これらの意図は、はしがきに記載されているが、はしがきには、さらに次のような記載がある。(ちなみにはしがきは下記サイトにある)
http://www.yuhikaku.co.jp/static_files/minso_hashigaki.pdf
現在の学生の一部には,判例を「正解」と同視し,判例を覚えることで学習を終わりとする傾向が見られるようになった。判例を梃子として,さらにその先の理論,実務を考えるという姿勢を欠くに至っているのである。また,新機軸の判例も,その先駆精神は多とするものの,理論面でよく練られているか不安を感じさせるものも皆無ではなさそうである。さらに,続百選,第2版のはしがきで新堂幸司教授が書かれたように,民事訴訟法の領域では,重要な事項のすべてが判例となるわけではない。そもそも,判例は事件処理の最終段階で回顧的に考察される評価規範が中心であり,これから手続を進めるに当たっての行為規範は判例となりにくい。また,事柄の性質上,争点証拠整理,陳述書,当事者照会等々は,判例に上がってくることがまずないと言ってよい。こう考えてみると,一部に見られる判例至上主義には,やはり限界があり反省されるべき面があろう。
そのような留保と自戒の念を持ちつつ,しかし精選した第4版を世に問いたいというのが編者と出版社の想いである。
この指摘は、わたしも日常的な教育実践の中で等しく共感を覚えるものであると同時に、つねづね、どう教育方法を考えればよいのか、アタマを悩ましているところである。とくに学生が判例を正解と考える傾向は、日増しに強くなっているように思う。
しかし、これは学生の問題というより、そのような出題傾向を、新司法試験がもっている(と少なくとも学生達に信じられてしまっている)ことに原因があるのであるから、出題にあたる先生方の工夫と、それを学生に伝える工夫が、さらに必要であろう。
ちなみに裁判官や弁護士の人たちからも、「最高裁判例があれば、それに従うしかない」という発言を聞くことがある。このような発言が間違っているとは言わない。が、その含意が、教育の中でうまく活かされていないように思うのである。
ところで、収録判例が厳選されているが、第4版を資料として拝読して、「なるほど」と頷いた点がほかにもいくつかある。とりあえず以下。
その1 主張責任関連の判例は、第三版より増えている。これは主要事実・間接事実の区別と弁論主義の問題を原理面で教育したいということであろう。意図はよく分かる。
その2 概括的事実認定の判例が差し替えになっている。いぜんは注射脚気事件であったが、これは、いまの医学的知見からみると教えづらいところがあるように思うので、ブドウ球菌事件の方が無難であろう。このことについては、かつてこのブログで書いたことがある。
http://www.satosho.org/satosholog/2007/07/post_af8e.html
ほかにも工夫があるようであるが、いま授業準備をしていて気がついたところをメモで書いておいた。
第3版との収録判例の比較は下記にある。
http://www.yuhikaku.co.jp/static/hyakusen_minso_list.html
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