2010/10/25

民訴判例百選第4版

 

今月、民訴判例百選第4版が出版され、大学で民訴を教える人たち(私もそうです)は、これまでの教材を変更したり、再検討したりされていることだと思う。今回の4版は、私の個人的な感想としては、かなり教材として洗練されているように感じる。
 それは1)掲載判例を厳選し数を少なくしていること、2)新判例を追わず、原理原則を考える教材として適切であれば、あえて古い判例を掲載している、ことなどに現れている。

 これらの意図は、はしがきに記載されているが、はしがきには、さらに次のような記載がある。(ちなみにはしがきは下記サイトにある)
http://www.yuhikaku.co.jp/static_files/minso_hashigaki.pdf

 現在の学生の一部には,判例を「正解」と同視し,判例を覚えることで学習を終わりとする傾向が見られるようになった。判例を梃子として,さらにその先の理論,実務を考えるという姿勢を欠くに至っているのである。また,新機軸の判例も,その先駆精神は多とするものの,理論面でよく練られているか不安を感じさせるものも皆無ではなさそうである。さらに,続百選,第2版のはしがきで新堂幸司教授が書かれたように,民事訴訟法の領域では,重要な事項のすべてが判例となるわけではない。そもそも,判例は事件処理の最終段階で回顧的に考察される評価規範が中心であり,これから手続を進めるに当たっての行為規範は判例となりにくい。また,事柄の性質上,争点証拠整理,陳述書,当事者照会等々は,判例に上がってくることがまずないと言ってよい。こう考えてみると,一部に見られる判例至上主義には,やはり限界があり反省されるべき面があろう。
 そのような留保と自戒の念を持ちつつ,しかし精選した第4版を世に問いたいというのが編者と出版社の想いである。


 この指摘は、わたしも日常的な教育実践の中で等しく共感を覚えるものであると同時に、つねづね、どう教育方法を考えればよいのか、アタマを悩ましているところである。とくに学生が判例を正解と考える傾向は、日増しに強くなっているように思う。
 しかし、これは学生の問題というより、そのような出題傾向を、新司法試験がもっている(と少なくとも学生達に信じられてしまっている)ことに原因があるのであるから、出題にあたる先生方の工夫と、それを学生に伝える工夫が、さらに必要であろう。
 ちなみに裁判官や弁護士の人たちからも、「最高裁判例があれば、それに従うしかない」という発言を聞くことがある。このような発言が間違っているとは言わない。が、その含意が、教育の中でうまく活かされていないように思うのである。

 ところで、収録判例が厳選されているが、第4版を資料として拝読して、「なるほど」と頷いた点がほかにもいくつかある。とりあえず以下。

その1 主張責任関連の判例は、第三版より増えている。これは主要事実・間接事実の区別と弁論主義の問題を原理面で教育したいということであろう。意図はよく分かる。
その2 概括的事実認定の判例が差し替えになっている。いぜんは注射脚気事件であったが、これは、いまの医学的知見からみると教えづらいところがあるように思うので、ブドウ球菌事件の方が無難であろう。このことについては、かつてこのブログで書いたことがある。
http://www.satosho.org/satosholog/2007/07/post_af8e.html

ほかにも工夫があるようであるが、いま授業準備をしていて気がついたところをメモで書いておいた。

第3版との収録判例の比較は下記にある。
http://www.yuhikaku.co.jp/static/hyakusen_minso_list.html

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2010/07/03

権利能力なき社団に対する強制執行(朝鮮総連ビル事件)

6月29日に最高裁が、権利能力なき社団の所有(構成員の総有)にかかる不動産について、その権利能力なき社団に対して債務名義をもつ(勝訴判決)金銭債権者が強制執行をする方法を示した判決を言い渡した。

29日に言い渡して、その日のうちに最高裁データベースに搭載され(商業データベースはまったく追いつけない)、その日の内に北大の町村先生がコメントをブログで書いている。いや早いなあ。

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2010/06/arret-36d8.html

最高裁判決はこちら 最判平成22年6月29日最高裁データベース

この事件は、町村先生ご指摘の通り、民訴的にとても興味深い判決です。そして、事実関係的にも実に面白い事件で、マスメディアはそちらの側面で取り上げています。

たとえば毎日新聞の6月30日の記事

朝鮮総連:競売訴訟 総連本部、差し押さえ可能 最高裁「資産認定確定すれば」
 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部が入る東京都千代田区の土地建物を差し押さえるため、整理回収機構が登記上の所有者に対する執行文の付与を求めた訴訟の上告審判決が29日、最高裁第3小法廷であった。近藤崇晴裁判長は執行文付与を認めず機構側敗訴とする一方で、「土地建物が実質的に総連の資産と認めた確定判決があれば、差し押さえは可能」との判断を示した。差し押さえ実現に道筋を付ける判決となった。

 中央本部の土地建物は、総連議長が代表社員を務める合資会社「朝鮮中央会館管理会」名義で登記されている。機構は総連に債権約627億円の支払いを求めた訴訟で全面勝訴したが、土地建物の差し押さえに必要な管理会に対する執行文を東京地裁が付与しなかったため、付与を求める裁判を起こした。

ほかに沢山のメディアが報道していますが、記事が消えないことを祈って西日本新聞をあげておきます。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/181333

この最高裁判決は、結論的には執行文付与を認めなかったのですが、権利能力なき社団である朝鮮総連の所有であることを確認する判決があれば、直接、強制執行ができる、と判断しています。こっちはダメだけど、こういうやりかたがあるよと親切に教えてあげた判決ということになりましょう。

そして、その教えてくれた内容が、承継執行文の付与をもって行うという従来の考え方を否定して、朝鮮総連の所有であるとの朝鮮総連と管理会相手の確認判決があれば、直接、朝鮮総連相手に強制執行ができると判断したのですから、これは画期的な新判断です。なんだか、権利能力なき社団の訴訟上の取り扱いでもやもやしたところが、少し明瞭になったと思います。

なお、この判決の原審については、上智大の田頭章一先生が、判例時報2072号198頁(判例評論616号36p)で解説されています。

ところで、この朝鮮総連ビル、もともと登記名義は管理会だったのでしょうか。ご存じのように、元公安調査庁長官だった人が代表を務める投資会社に名義をいったん移転したとして、緒方元長官が逮捕され、朝鮮総連側の代理人である元日弁連会長の土屋さんとの関連もいろいろ取りざたされたことがあります。

朝鮮総連本部ビル売却問題

いろいろですなあ。

あ、こんなサイトもありました。
http://japanlaw.blog.ocn.ne.jp/japan_law_express/2010/06/post_7c36.html

http://japanlaw.blog.ocn.ne.jp/japan_law_express/2009/03/post_6b48.html

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2010/06/18

京阪奈丘陵 法と倫理のコラボ

京阪奈丘陵、私は京都で育ったので、その所在は聞いたことがある。ここに関西文化学術研究都市・別名「けいはんな学研都市」が建設されるという話は、もう何十年も前に聞いたことであるが、実際に着たのは今日が初めて。驚いた。とてもゆたっりした街である。

ここにある国際高等研究所で、とある研究会が開かれて、機会をいただいたので成年後見と自己決定にかかわる話を一時間ほどさせていただいた。

それにしてもすばらしい施設だ。梅雨であることをまったく忘れて、人間社会の抱える話題に精神を集中できる。

国際高等研究所の施設
http://www.iias.or.jp/profile/facilities.html

今日参加した研究会の案内はこちら。
法と倫理のコラボレーション研究会
http://www.iias.or.jp/research/project/2010_06.html

法学者が多く、しかも相当にレベルの高い方々の集まりなので、私の話が、他の先生方にどれほど参考になったのか、内心忸怩たるものがあるが、いつもの講演の癖で「毎年3万人弱の方が裁判所の手続きで選挙権を奪われている国が主要国で他にありますか・・・」とつぶやいてしまった(呟きにしては大きな声だったが)。これは響いたように思う。

ま、それはそれとして、私としては若い研究者が報告してくれた「状況的犯罪予防論」の話が収穫だった。状況整備から入っていくので、道徳的価値から中立に犯罪予防を議論できる。たとえばブラットホームの防御柵なんてのは、障がい者にとっては被害・加害両面でとても重要なのだが、これもなぜ必要なのかなんなく説明できる。福祉の現場で、触法障がい者がでたときに「支援不足」がよくいわれるが、それとも一脈通じるところがある。
報告者の方は、そういう問題として必ずしも論じておられなかったが、私には、そんな問題として聞こえたし、十分に価値のある議論だと思えた。
いや、いろんな議論があるなあ。明日も楽しみ。

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2010/06/11

成年後見法学会で聞いた話2

成年後見法学会で聞いた家事審判法改正動向のその2は、申立の取り下げ制限である。現在、成年後見などの申立は自由に取り下げができる。これを制限しようという意見が法制審議会ででているらしい。

詳しい理由や内容は学会でポツリと言われただけなので分からない。以下は推測である。

現在の成年後見審判の手続は、後見人の選任については、裁判所の専権とされていて、申立にあたって申立人が推薦する候補者に拘束されない。紛議事例では、申立人が推薦した候補者が選ばれることはほとんどなく,第三者の専門家後見人が選任されるのが普通である。このときにも申立人から高裁へ不服申立てが起こされ、審判が確定しないので、その間に取下げ、というケースがある。これが取り下げの乱用だといわれるケース。しかしこれ以外にもある。

 まったく紛議がなく、ごく普通に暮らしている親子の家庭において、親が「親亡き後を心配して」申立を決意し、さりとてほかに後見人を引き受ける人も見あたらないので、とりあえず自分を後見人候補者にして申立をしたとるする。裁判所の調査官が、その親御さんに面接してみると、調査官の目から見てちょっと癖のある人のようで、加えて高齢なので「この親御さんでは不安だ」と思ったが、なかなかご本人に面と向かって言えないので(ほんとは言った方が良いと思うのであるが、そこは法手続とはいえリアルな人間関係である)、とりあえず裁判所から専門職団体に問い合わせをして第三者後見人の推薦をえて、その方を後見人にして審判を出す(そんなことがほんとにあるかどうか、あるとしてそんなに頻繁なことかどうかは別である)。
さて、審判書を見た親御さんは驚く。自分ではない、なんだこれは、、と思い裁判所に怒鳴り込むが、不服があっても争う手続きはありませんと冷たくいわれ、それでも不服を言いたいのなら手続きとしては高裁に抗告という手続があります、と教えられる。取りあえず抗告をするが、あちこちの法律相談に駆け込んでも、後見人の選任に文句をつけても覆ることは現在はない(選任の是非は高裁では扱わないから)、と教えられてて、やむなく成年後見の申立自体を取り下げる(これも法律相談で教えられるのであろう)。

 これは家裁が審判が出したあとに、審判の確定を妨げるためだけに抗告をして、そののちに申立を取り下げる行為となり、裁判所サイドからみれば「申立権」あるいは取り下げ権限の乱用と評価される。現在は、そう評価されても、そうした権能が申立人にあるので、裁判所側もよほどのことがない限り取り下げを認める。(かならずということではないと思う・非訟には処分権主義の適用がないので)。

そこでこうした「乱用的」取り下げを制限して、いったん申立をした以上、親の勝手は許さないという法制度に変更しようという意見がでているのではないか、と想像しているのである。

 法律家サイドからみれば、まことにもっともという意見が多いように思う。そんな研究者の論文もいくつか拝見した。

 ただ、それでいいのだろうか。これは申立をした親御さんからみれば、裁判所や法律家からだまし討ちを食らったという思いを払拭できまい。もちろん、虐待まがいのことをやっている家族もいるので、家族の勝手を許さないという立論もケースによっては説得力もあるが、日本の障害者の家族や高齢者の子供が、すべて虐待行為を行っているとはいえまい。不意打ち、だまし討ち、これは処分権主義の適用があろうがなかろうが、裁判所の手続きとしてあってはならないことだと思う。
 乱用的取り下げを制限するより、公的申立(検察官?、市町村)の方をより充実すべきだ、というのが私の考えである。でも、これは予算がいる。カネのかかることはとにかくやめて、家族を「権利擁護だよ」とおだて上げて申立をさせて、家族の意見もなにもかも無視して、本人の財産を(相続がからめば、家族の財産全部ということもある)、第三者に全部ゆだねてしまおう、いじわるな見方をすれば、そんな法改正になる可能性がある。その方がご本人とって良い場合ももちろんあるとは思う。しかしである。

 私は、後見人選任についての不服申立を認めない現在の法解釈を前提にする限り、取り下げを制限することは、申立人の手続権を侵害していると考えるので、取り下げ制限には反対である。
 もっとも、この問題はかなり歴史的経緯も入り組んでいて専門家の間でも議論がかなりある。もう少し調べてみたいところであるが、とりあえず今現在の意見と理解されたい。
 さて、このあいだの成年後見法学会で聞いた話は、まだまだ続く。

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2010/05/04

欠席者が勝訴した欠席判決

ときおり研究室で古い資料を整理すると、いろんなものが出てくる。
ちょっと前に昔、コピーしていた欠席判決の判決例が出て来た。実はメモを失って探していたものだ。こんなものに目を向けるから整理がすすまないのであるが、整理のまえに読んでしまう。

東京地裁昭和39年12月17日 下民集15巻12号2957p 「ホステスの顧客飲み代肩代わり無効判決」

 ホステスという呼び方が、いまも業界で生きているのかどうか分からない。テレビなどを見ていると若い女性がキャバクラ嬢に就職したいなどという報道がまことしやかに流れているが、このキャバクラ嬢というのとホステスという呼び方との差異も私にはわからない。いったこともなければ、行く気もおこらない。が、そんなことはどうでもよい(苦笑)。

 この事件は、原告はキャバレーの経営者で、そこで指名客を4人ほど持っていたホステスに対して、客の未払い代金の支払いを求めたものである。事実関係は以上であり、きわめて単純。

 下民集という公式判例集に掲載されている事件であるが、なぜか最高裁ホームページには出ていないようだし、そんなに長くないので、下記に引用しておこう。

東京地裁昭和39年12月17日 下民集15巻12号2957p

貸金等請求控訴事件
東京地方昭三九(レ)第三〇七号
控訴人 クラブ朝明ことX
被控訴人 Y

       主   文

本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。

       事   実

 控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人は控訴人に対し一七、九六〇円およびこれに対する昭和三九年四月一三日以降右支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求原因として次のとおり述べた。

一、控訴人は銀座においてキヤバレーを経営しているが、昭和三七年一一月一九日に被控訴人をいわゆるホステスとして雇用した。

二、控訴人はいずれも右キヤバレーにおいて左記の日に被控訴人の接待を受けて飲食した左記の四名に対して左記の飲食代金債権を取得した。

     客        日              金額
(一) 向井某 昭和三七年一二月一二日  五、二二〇円
(二) 片柳某 同日                三、五四〇円
(三) 中里某 同月一八日           四、二〇〇円
(四) 井沢某 同月二二日           五、〇〇〇円

   右合計 一七、九六〇円

三、被控訴人は、控訴人に雇入れられるに際してなした、被控訴人が接待に当つた顧客の飲食代金についてはその責に任ずるとの約旨に基き、右四名が控訴人方で飲食した当時右四名の飲食代金債務を各自につき一〇、〇〇〇円の限度で保証する旨約した。

四,よつて控訴人は被控訴人に対し右四名の債務合計一七、九六〇円の支払と、右支払を求める旨記載した本件訴状が被控訴人に送達された日の翌日である昭和三九年四月一三日以降右支払済みまで右金員に対する民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める。 

 被控訴人は適式な呼出を受けながら原審および当審の口頭弁論期日に出頭しないし、答弁書その他の準備書面を提出しない。(下線:satosho)

       理   由

 民事訴訟法第一四〇条第三項(現行法159条3項:satosho)により被控訴人は控訴人の請求原因事実を全部自白したものとみなす。
 右事実によれば、控訴人は本件保証契約により自ら客から取立てるべき飲食代金を自己の被用者である被控訴人に支払わせ得るわけであつて被控訴人の負担において一方的に利益を得る結果となることが明らかである。このような場合、被控訴人と客との間に何らかの特別な関係があつて、そのために被控訴人が右のような一方的な不利益を忍んでもなお本件保証契約を結ぶに至つたというような特別な事情があり、従つて被控訴人に保証債務を負わせても社会正義に反しないと認められるならば格別、そうでないかぎり右契約は控訴人が被控訴人に対する使用者であるという優越的な地位を利用して、経営者の負担すべき危険を回避して労することなく客の代金の回収を図ることを目的とするもので、単に客の接待係として雇用したにすぎない者に対し不当に不利益を強いることとなり、善良な風俗に反し無効であると認めるのが相当である。そうして本件において被控訴人がたまたま右四名の接待に当つたということ以外に、被控訴人が本件保証契約を締結するについて前記のような特別な事情があることは控訴人が何ら主張立証しないところである。従つて本件保証契約は無効であるから、控訴人の請求は理由がない。
 よつて控訴人の請求を棄却した原判決は相当であるから本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条および第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 上野宏 川上泉 青山正明)


この事件のおもしろい特徴は、被告となったホステスが第一審(新宿簡裁)も控訴審(東京地裁)も全部欠席、答弁書も出さなかった経緯のもとで、被告ホステスを勝訴(請求棄却)させている点である。つまり欠席した人が勝っちゃった事件。

被告が答弁書も提出せずに、口頭弁論に欠席を続ければ、擬制自白が成立する。判決に熟せば判決を下す。これを欠席判決と呼んでいる。しかし、日本の現行法では、欠席判決という呼び方は、いささかミスリーディングであって、日本の欠席判決は「欠席をしたことを理由とする判決」ではない。欠席>擬制自白>判決、という具合に欠席と判決のあいだに擬制自白をかませていて、擬制自白によって事実認定ができるので判決をするという制度になっている。

現行法は、これに審理の現状に基づく判決を加えているからさらに話がややこしくなるが、それはさておき、この判決は、欠席したことがダイレクトに敗訴に結びつかない日本の欠席判決の性格を、非常にわかりやすく示してくれる貴重な教材だと思う。

ところで判例としての判示事項は、ホステスの顧客債務の保証契約が公序良俗に反して原則無効である、というものであるが、この点については、最高裁昭和61年11月20日判決が、公序良俗に反しない場合があるとする事例判決を行っているところであり(最高裁判決のサイト)論議を呼んでいるようである。この昭和39年の判決では、この問題について、無効とならない例外的な特段の事情を、原告側が主張立証しないという間接反証説示を行っている点も興味深い。欠席と合わせ技なのであるが、真性の欠席判決だとこの説示も不要となるわけである。

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2010/03/30

浦安事件、上告はなし

浦安事件、浦安市に続いて千葉県も上告をしない方針をかためたようですね。
これで事件は、ほぼ収束をしたことになりましょう。

当事者の皆さんには、それぞれの想いがあるでしょうが、社会的には、被害者側、加害者側それぞれに、こうした事件が生じたときの対応のありかたについて、検討がなされてしかるべきですね。被害児童の話を早期に可視的な形で聞いておく制度が現場にあれば、そののちの事件の動きが変わったものになるはずです。

先週の土曜日あたり、またぞろ体調を崩していて、こんどは(も?)目の調子が悪くて今日はここまでです。
では。

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2010/03/26

浦安事件控訴審判決(補助参加など)

浦安事件控訴審判決については、マスメディアの報道では分からないのですが、仮執行宣言がついていたようですね。つまり、判決の確定がなくとも千葉県と浦安市に対してお金の支払いを求めて、拒否されれば強制執行(差し押さえ)をすることができるということですね。
 最近、自治体が裁判所の判決を無視する例がでていて、鹿児島県の阿久根市長が裁判所の支払い命令を無視して、市有財産の差し押さえを受けているのは有名です。さて浦安事件はどのような展開になるのか、まだまだ紆余曲折がありそうです。

それからこの事件の控訴審では、一審の被告であった元教諭が補助参加しています。この人に対する判決は請求棄却(つまり元教諭の勝訴)で確定していますから、すでに訴訟上の当事者ではなくなっているわけです。しかし、この事件の争点は、この人が猥褻虐待行為をしたかどうかにあるわけですから、実質的には、この人がもっともこの訴訟に関心をもっていると言ってもよいでしょう。

第一審判決には(勝訴しているため)みずから控訴できないので、控訴審では補助参加をされたわけです。県側に参加したのか、市側に参加したのか、それとも両方に参加したのか、そこのところは分かりません。

控訴審判決は一審以上に猥褻行為を認定したわけですから、この判決にもっとも不満をもっているのは、この補助参加人であることは想像できます。

県や市が上告受理申立をするかどうかは、まだ分かりませんが、この補助参加人が上告受理申立ができるかという問題があります。そして、これは可能です(認められるかどうかは、前に書いたように事実認定の話ですから非常に厳しいとは思いますが)。民事訴訟法の45条の1項や2項の解釈問題です。いつまでできるのか、被参加人(県や市)が上訴権を放棄したり、上告をしなかったりした場合にもできるのか、いろいろ民訴的には細かな議論がありえますが、できるかできないかと聞かれれば、基本的にはできるという回答になるでしょう。

以上は、別に訴訟の関係者ではないので、まったくの外野の余計な議論ですが、民訴の関係で興味があったので書いておきました。

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2010/03/25

浦安事件控訴審判決

 24日は障害者関係の判決が二つ報道されていた。ひとつは自立支援法訴訟の和解。これは長妻厚労大臣が就任早々に和解路線を表明していたので、いわば既定路線。
 もうひとつの大きな判決が標記の事件。当ブログでも地裁判決にコメントをつけたことがある。
http://www.satosho.org/satosholog/2008/12/post-e3c7.html

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2009/11/22

民主党の事業仕分

最近のテレビニュースでご存じの通り、である。これについてメモを書いておきたい。

この営為から脳裏に浮かぶ言葉。
1)主尋問ぬきの反対尋問だけの裁判
2)一部公開で決定過程の実質は非公開
3)手段と目的を取り違えている
;公開は議論の手段であって目的ではない)
4)検察官と裁判官が同一の手続
;あるいは、検察官=財務省が隠れていて立証責任を負わず、被告人だけが立証責任を負う手続(推定有罪の糾問手続)? しかも時間の関係で立証すら満足にさせてもらえない、情けないほど見せ物的な手続である。

このひとつひとつを説明しだすと、とても手がかかるので、またの機会にするしかない。メモというゆえんである。

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2009/10/19

92兆円と裁判所

 政府の来年度予算の概算要求総額が92兆円と報道されている。
裁判所の要求額は、3375億円弱である。
 民主党政府は、司法府と立法府の予算要求は減額査定しないようであるから、この額で決るのだろうけど、それでも全予算の0.36%ぐらいであって、0.4%に満たない。

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