2010/07/23

青森の逸失利益判決

去年の暮れに青森地裁で、事故で死亡した重度障害者の損害賠償につき、就労可能性を認め最低賃金を基礎に算出して逸失利益を認めた判決があったことを紹介しました。紹介記事はこちら
そのときは、控訴されるかどうか不明であったのですが、最近の判例時報をみると地裁で確定したようですね。

青森地裁判決平成21年12月25日 判例時報2074号113頁


どうでもよいコメントを二つ。
その1、クリスマスの日に判決ですね。これは知的障害者に対するクリスマスプレゼントなのかな。
その2、言い渡し当日に判例データベースに判決内容がのることがある昨今、この判決は、半年以上たって掲載されています。ちょっと時間がかかりすぎの印象ありです。

とまれ、判決の該当部分だけ紹介しておきますね。
この判決は、被害者が居住していた施設で、同じ施設の利用者から暴行を受けていたこと、入浴に際して施設職員の過失により死亡したこと(てんかん発作をおこしたようですね)を認めて、被告社会福祉法人の法的責任を認めた上で、損害論を展開しています。以下は、その部分の中の逸失利益に関わる部分です。


  (4) 亡一郎の逸失利益について
   ア 亡一郎の基礎収入について
 (ア) 上記認定のとおり,亡一郎は,重度の知的障害を有しており,寮等の知的障害者支援施設において,就労も視野に入れた基本的な生活知識や技術等を教育されていたものであり,本件死亡事故当時には,身体的機能については何ら問題はなく,絵や写真等により行うべき作業を示されると,その内容を理解することができ,ドリルによる穴開けや釘打ちなど,危険性を伴うものの,操作自体は容易である工作機械や工具を用いた簡易な作業を行うことができたほか,平仮名や片仮名については読むことができたものである。
 他方において,亡一郎は,就労において必要不可欠というべき社会的規範やルール等に対する理解やコミュニケーション能力等において,なお不十分であったといわざるを得ず,このような亡一郎の状況に鑑みれば,直ちに一般的な就労可能性があったとするのは困難というほかない。
 しかしながら,亡一郎は,本件死亡事故当時は16歳であり,養護学校の高等部や寮での教育・生活指導を受けることで,その卒業時までにおいてもさらに成長することが期待され得るというべきである。そうすると,亡一郎は,養護学校の高等部卒業時点において,他人の支援や介助を全く必要とせずに就労することが可能となるまで成長しえたというのは現実的に困難であるとしても,かかる支援や介助を得ながらであれば,亡一郎は簡易単純な作業には十分に従事しうるまでに至っていたものと考えられるところである。
 さらに,今後の医学,心理学,教育学等の進歩,発展等を考慮すれば,現在,完治という意味においては治療不能とされている自閉症に対する治療法が見出される蓋然性があるとまではいえないとしても,自閉症を含む知的障害者に対する指導,支援の方法について,徐々にではあってもより効果的な手法をもたらす知見が得られる蓋然性はあるというべきであって,このような見地に立つと,亡一郎が,上記のような生活支援及び就労支援を受けながら,一定の作業に従事しつつ,社会生活を営むことにより,将来,さらにその能力を高め,より高度な労働に従事し得る能力を獲得する一方,就労に際して障害となる行動的特徴をより抑制することが可能となる蓋然性もあるというべきである。
 以上の点を総合考慮すれば,亡一郎には,健常者と同程度の就労可能性があったとまではいうことができないものの,一定程度の就労可能性はあったというべきである。
 (イ) 原告らは,亡一郎の逸失利益の算定に際し,賃金センサスにおける全年齢の平均賃金を基礎収入として計算すべきであり,賃金センサス平成14年第1巻第1表産業計全労働者の平均賃金額である494万6300円を基礎収入とすべきと主張するところ,この主張は,亡一郎に一般企業への就労可能性があったことを前提にするものと解される。
 確かに,上記認定のとおり,現在,障害者雇用の促進やノーマライゼーションの観点から,知的障害を有する者を含む障害者の雇用を積極的に行っている一般企業も増えつつあり,一般企業における知的障害者の就労機会は徐々にではあっても拡大しつつあるといえるから,亡一郎が将来的に一般企業に就労する可能性が全くなかったとまではいうことができない。しかし,上記認定のとおり,現状としては,このような企業は依然としてごく少数であり,その受け入れ可能な定員も必ずしも多数とはいえず,平成10年から平成19年までに養護学校の高等部を卒業した169名のうち,一般企業へ就労した者は僅か3名であることに照らしても,知的障害を有する者が一般企業で就労することが極めて困難であることは否定できない。そして,仮に亡一郎が一般企業に就労することができたとしても,現在において予測可能な範囲においては,重度の知的障害を抱える者が健常者と同程度,同内容の労働を行うことは,その将来にわたる発達可能性を考慮しても不可能であるといわざるを得ず,労働の対価として健常者と同程度の賃金を得ることも極めて困難であるというほかないのであって,重度の知的障害を抱える者の賃金水準を可能な限り健常者の水準に近づけることが理想的であり,行政や企業においてこれを実現しうる施策等をとることが望ましいとはいい得るにしても,上記のような現実は直ちには動かし難いというほかない。以上の点に鑑みれば,原告らが主張するように,亡一郎の逸失利益の算定において,賃金センサスの産業計全労働者の平均賃金額を基礎収入とすることはできないといわざるを得ない。
 したがって,原告らの上記主張は,理由がないというほかない。
 (ウ) もっとも,上記説示のとおり,知的障害者が一般企業へ就労する機会が増えつつある現状に鑑みれば,健常者の賃金水準には劣るとしても,知的障害者がその有する能力を十分に活用することができる職場において就労する機会を得て,授産施設における作業による賃金と比較すれば高水準の賃金を得ることも可能な状況になりつつあるということができ,このような状況は,障害者に対する理解が遅々としたものではあっても徐々に深化してきていることを示すものというべきであって,今後も将来にわたって,知的障害者がその能力を十分に活用することができる職場が徐々に増加することを期待し得るものというべきである。
 他方,上記説示のとおり,死亡当時16歳にすぎなかった亡一郎も,今後の長い社会生活の中で,徐々にではあってもその就労能力を高めることができた蓋然性があるのであるから,上記のような知的障害者雇用に関する社会条件の変化をも併せて考慮すれば,後に説示するとおり約50年にもわたる就労可能期間を残して死亡した亡一郎が,自閉症を含む重度の知的障害を抱えながらも,その就労可能な全期間を通して相当の賃金を得ることができた蓋然性を否定することはできないというべきである。
 (エ) 以上に説示したところによれば,亡一郎は,その就労可能な全期間を通して,一定の生活支援及び就労支援を受けることを前提として,少なくとも最低賃金額に相当する額の収入を得ることができたと推認するのが相当であるというべきである。したがって,亡一郎については,最低賃金額を基礎収入として逸失利益を算定すべきである。
 (オ) ところで,原告らは,青森県における平成16年度の最低賃金額に基づく亡一郎の基礎収入の算出において,1日あたり8時間の労働時間と1か月あたり25日の稼働日数を前提とする計算を行っている。
 この点,1日あたりの労働時間については,重度の知的障害を有する者であっても,8時間の労働をこなすことが不可能であるとすべき根拠はないというべきであるが,1か月あたり25日の稼働日数を前提とすれば,毎月の休日が5日ないし6日ということになり,健常者の一般的な就労状況と比較しても,過重な稼働状況であるといえる上,重度の知的障害を有する者にとって,1日あたり8時間の労働を連日にわたって行うことは身体的に相当の負担となるものと考えられるから,上記の程度の休日を前提として1か月あたりの稼働日数を考えることは相当でないというべきである。
 以上の点を総合的に考慮すれば,1か月あたりの稼働日数は,20日とするのが相当というべきである。
 そして,弁論の全趣旨によれば,平成16年当時の青森県の最低賃金額は605円であると認められるところ,以上の認定説示を前提に,亡一郎の基礎収入を計算すると,以下のとおり,年額116万1600円となる。
 青森県の1時間あたりの最低賃金額 605円
 1日あたりの収入(8時間労働) 4840円
 1か月あたりの収入(20日間稼働) 9万6800円
 年収(基礎収入) 116万1600円
   イ 亡一郎の生活費控除について
 原告らは,亡一郎の生活費控除率を5割として逸失利益の計算を行っているが,既に説示したところによれば,亡一郎は,重度の知的障害者として,日常生活において様々な支援や介助を受けることを要し,医薬品等に係る自己負担分の費用の発生も見込まれるというべきであり,その就労の際にも支援や介助を要することは否定しがたいものといわざるを得ない。そして,このような支援や介助を受けることについて,亡一郎においても一定程度の経済的負担を余儀なくされることが見込まれるというべきであって,亡一郎の生活費として支出されるものとすべき金額は基礎収入の5割を超えるものと考えざるを得ない。
 そして,諸般の事情を総合考慮すれば,亡一郎の逸失利益を算定するに当たっては,その生活費控除率は7割とするのが相当である。
   ウ 中間利息控除
 亡一郎の就労可能期間については,18歳から67歳までとするのが相当である。そして,中間利息控除においては,ライプニッツ係数を採用して計算するのが相当であるところ,ライプニッツ係数の値は,死亡当時16歳10か月であった亡一郎が就労可能な67歳に至るまでの期間に対応する18.256から,18歳になるまでの就労前期間(約1年2か月)に対応する0.952を控除した17.304となる。
   エ まとめ
 以上によれば,亡一郎の逸失利益の額は,以下のとおり,603万0098円と算出されるところ,これを各原告が2分の1ずつ相続した結果,各原告が請求できる金額は,301万5049円となる。
 1,161,600×(1-0.7)×17.304=6,030,098

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2010/07/18

茨城の成年後見とブルーベリー

 先日木曜日に、水戸に行ってきました。県内の知的障害者相談員の方々の研修会で成年後見のお話をする機会をいただいものです。「知的障害者相談員」とは地元の育成会が県から受託している事業のようで、多くはご家族の方々が相談員になっているようですね。で、そのつもりで出掛けていったのですが、県内の市町村の障害福祉課の方々も沢山お見えになっていて、おもわず行政に対する熱い期待を語ってしまいました。ご参加のみなさま、熱心に聞いていただきありがとうございました。

 水戸は、駅北口を出て裁判所まではなんどか往復したことがあるのですが、南口に降り立ったのは今回が初めてで驚きましたねえ。再開発が進んでいて北口とはまったく違う街になっています。北口が旧市街、南口が新市街というところでしょうか。時間があればゆっくりとあちこち歩き回りたいところでした。

 ところで、共時性というコトバがありますが、ものごとは重なります。まえに鳥取ネタが重なりましたが、今回は茨城ネタです。どういうことかというと、この講演の2週間ほど前に茨城の知人からブルーベリーが送られてきたのです。

Nec_0039


 一粒一粒が丁寧に作られた種なしブルーベリーです。とても美味しいですよ。やや大粒で食べ応えがあります。家族全員で、うまいうまいとあっという間に食べてしまいました。
 このブルーベリーは正見園という自閉症の方が栽培している畑で作られています。サイトもあります。
 http://www.speedway.ne.jp/~b-road/

一度、現地を見に行ってみたいとは思っているのですが、なかなか機会がなくて。でも美味しいつながりは、ちゃんとつながっていますから、それでいいのかもしれませんね。

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2010/07/15

選挙権話題(続)

(今朝方アップしたのですが、その後、リンクが間違っていることに気が付きましたので、訂正・加筆しています。(10/7/15 Thu pm:16:13)

先日、障害者の方、認知症の方の選挙権の話題をアップしたら、次々と関連ニュースを知らせてくれるヒトがいる。
毎年逮捕される支援者がいると書いたが、今回の参議院選挙でも下記の話題がでたようです。

まず認知症関係:
●特養入所者の投票 不正代書の疑い 県警 中央市の施設幹部2人逮捕/山梨
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/07/14/1.html

次が障害者の就労先:
●従業員の知的障害者らに投票働きかけた疑い 社長を逮捕/栃木
 http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201007130487.html

●同上【参院選投票干渉事件】知的障害者大半が代理投票 佐野市選管、県と協議へ

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/accident/news/20100715/351398
下野新聞の記事は息が長いです。知的障害者の方々が、選挙権を行使できるような工夫を考えてほしいものです。

http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001007150001

最後は知的障害者の授産施設;

●笛吹市の知的障害者授産施設「美咲園」の入所者に参院選で特定の候補者に投票するようメモを渡したとして公選法違反(投票干渉)容疑で同施設施設長が逮捕された事件
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/news/20100712-OYT8T01252.htm

これにつては、山梨日々がいち早く7日に伝えてますね。こちらの方が、記事の命が長いから掲載しておきます。
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/07/07/1.html

また、山梨日々は、障害者の最期のケースについて、こんな分析記事も掲載しています。なかなか、現状をよくとらえていると思います。

●「投票誘導」チェック困難
笛吹選挙違反 代筆OKの知的障害者、メモ持参も”権利” 判断力養成求める声も
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/07/13/5.html

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2010/07/10

認知症の方の選挙権

昨日、知的障害者と選挙権の話を書いていたら、知人が次のような新聞記事を知らせてくれました。ご高齢の方の場合も同じ問題がありますよねえ。

認知症、一票は 朝日新聞神奈川版 7月9日記事

 昨年9月、朝日新聞の声欄に、認知症の妻を総選挙の投票所に連れて行ったが、自分の意思が告げられず投票できなかったという投書が載った。今後増えていくといわれている認知症。その一票をめぐる環境はどうなっているのか。参院選を前に、現場の声を聞いた。

  ○ 投票できぬケースも
  川崎市麻生区の男性(74)は認知症の妻(74)を在宅介護している。要介護4の妻は字を認識できず、名前を見て候補者を選ぶことができない。区の選挙管理委員会に確認したら「その状態では投票できません」といわれた。「字は認識できないが、日常の会話はできる」という男性は「投票できないのは人間としての大事な権利を奪われたのと同じ。認知症の人こそ言いたいことがたくさんあるはず」と憤る。

  ○ 一定の意思表示必要
  制度はどうなっているのか。県選挙管理委員会によると、投票は、自分の意思を表示する制度なので、投票する人が、一定の判断を示すことが求められるという。字が書けないなど介助が必要な場合は「代理投票」という方法があるが、意思表示ができないと投票できない。

 

  ○ 「症状次第で投票は可能」 専門医
  「残念ながら、認知症がかなり進んで判断能力が全くなくなってしまった意思を投票に反映するのは難しい」。認知症の専門医で家族会の活動にもかかわっている杉山孝博川崎幸クリニック院長は語る。「けれど認知症の症状は本当にさまざま。認知症でも投票できる人はたくさんいることを知ってほしい」
  投票に必要な判断能力がある人でも、投票所という特殊な場に来たことで一時的に混乱することもあるという。
  認知症の高齢者など自分で十分に判断できない人の財産や権利を守るために作られた成年後見制度では、その人の判断能力に応じて「後見」「保佐」「補助」の3種類に区分される。最も重い「後見」になると、選挙権がない。けれどこれまで診断書や鑑定書を作成したことのある杉山医師は「財産管理の面から『後見』と区分された人でも、投票はできるのでは」と感じることもあるという。
  「一番怖いのは、認知症の人はすべて意思表示ができないという思いこみです」


これがこの記事の素材となった1年まえの投書のようです。

  ● 認知症の妻は投票所で棄権 -「声」欄から抜粋-
  総選挙の投票日、妻と一緒に投票所を訪れた。妻は認知症で、今では自分の名前も書けない。
  60年近く連れ添ったわが女房。彼女の気持ちはよく分かっている。鉛筆を握らせ、候補者名を一緒に書こうとした。その時、係員からストップがかかった。
  「ボードの候補者を名指ししないと投票させません」と係員。私は「少しくらい大目に見てよ。前回と同じように頼みますよ」。しかし、「本人の意思表示がないと……」と譲らず、投票立会人も知らん顔だった。
  字を書くのもおぼつかない妻を投票所に行かせたのはなぜか。妻が入所する施設では、この1年余で職員4人が辞めていった。社会保障費の自然増分を2200億円削る影響を目の当たりにしたからだった。温かみのある福祉予算の計上や法律をたてに弱い者いじめをしない社会を、新政権に望んでやまない。
(09年9月11日付)

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2010/07/09

AAPEPと選挙

 昨日、期日前投票にいきました。すごい混みようです。受付の前は長蛇の列。政党名を記入する比例区のしくみが変更になっていて少し戸惑いました。

さて投票に行く前に投票所入場整理券を見てみると家族4人の整理券が全部ありました。そこには、我が次男の名前もあります。もう二十歳を超えていますから当然でしょう。ほーー、来てるねえ、と家人に告げて私だけ投票所へ行きました。

昨日、次男のAAPEPの検査報告をご担当の方から詳細に聞きました。この検査、私の予想以上に的確です。家族の事前アンケートだけでなく、通っている事業所のアンケート、そして担当者の方が直接、本人面接していろいろチェックする直接観察の結果を踏まえて、実に丁寧な考察を加えているのです。そうとうな時間を割いてくださっていることは間違いありません。関係者の方に感謝・感謝です。

結果は,私の予想(希望)よりも次男の能力を低く評価してあり、説明を受けてなるほどと思うと同時に、できるところとできないところを無視して、あれこれ支援することが、本人をいかに混乱させているのか改めて反省するところ多々ありました。

で、検査項目の中に当たり前ですが、自分の名前を書けないというものがあります。そりゃそうですよ、文字はまったく書けない。ことばがないのです。で、はじめの話なのです。その彼に投票所入場整理券が来ています。おそらく実際に使うことはないでしょう。

AAPEPの結果は、障害程度が最重度であることを示しています。でも「だから」彼に選挙権は与えない、と言われると私はおかしいと思います。彼は、一個の人間であり、「自分の意思」というものを明らかに持っています。AAPEPの結果を見ても、そのことは分かります。いや日頃一緒に暮らしていれば誰でも分かります。

もし彼に投票行動がとれて、投票できれば、その意思を尊重すべきでしょう。彼に成年後見人をつければ、選挙権がなくなります。なぜ彼の選挙権を奪うのでしょうか。判断能力がないから?。しかし、成年後見で問題にしている判断能力は財産管理能力でしょう。政治的な思想信条をもつ能力を家裁が判定しているとはとても思えません。彼に選挙権があることで、国政に混乱が生じるから?。これもおかしいのです。最重度の人は実際に投票行動がとれないから、選挙権があろうがなかろうが、国政に投票行動を通じて影響を与えることは現状ではありえないのです。では、もし実際に投票行動がとれる程度の障害者がいたとして、その人の投票権を奪う理由は、なんでしょうか。判断能力がないから?。繰り返しになりますが、家裁はそのような意味での判断能力を判定しているワケではありません。そのような人は、適切な判断ができないから?しかし、A党に入れた人は適切ではなくて、B党に入れた人が適切である、などと判定する尺度が選挙制度にはあるのでしょうか。それは結果で決めるとするのであれば、選挙に負けた政党の関係者や投票者の選挙権をみな奪うしかない。そんなことは誰も考えないでしょう。投票というものは、そういうものです。

 もっとも、この問題はもっといろいろ考察しなければならない話があるように思います。たとえば未成年の子供に選挙権を与えないこととの比較です。しかし、これも正確な比較ではないようにおもいます。未成年の人はいずれ成年になります。つまり、いま必ずしも根拠のはっきりしない大人側の事情で選挙権を剥奪されていますが、いずれ選挙権を与えられることが約束されているのです。ところが成年後見人をつけた場合、その人の選挙権が復活することは現実にないでしょう。完全に政治社会から抹殺されるのです。なぜ、そこまで社会は障害者を嫌うのでしょうか?。それが分からない。そんなことを考えた一日でした。

選挙の時期になるとどこかで施設長が逮捕されています。投票者名を指示したというのがその大半です。ですが、選挙運動一般は、投票者を指示するのでしょう。菅さんも谷垣さんも、そのほかの方々も投票者を選挙民に指示しているのでしょう。ここが実は一番の問題です。障害のない人達に、この人に投票してくださいと御願いしたら、それは合法な選挙運動であり、障害のある人に同じことをしたらそれは違法な選挙運動である、というのはなぜでしょうか。障害のある人への選挙運動は、形の如何を問わず違法なのでしょうか。誰が立候補しているのか、どんな人なのか、そんな説明をすることを苦労しながらしているのでしょう。数年前につくば大学の学生がお金をもらって特定候補に投票したという事件がありましたが、この事件を契機につくば大学の学生の選挙権を剥奪せよという話は聞いたことがありません。当たり前だと思いますが、その当たり前のことが障害のある人に対しては、当たり前でなくなるから不思議です。

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2010/06/24

韓流虐待報道

友人からの情報です。

●小学6年男児ら、障害持つ女児にわいせつ行為/蔚山
http://www.chosunonline.com/news/20100623000040

●障害者虐待・障害手当て横取りした施設摘発
http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=2&ai_id=116496

 どこの国でも似たような話があるんだなあ、と思いますが、記事から読み取れるところでは、事件発覚のあとの対応が違うように思います。
 日本だと、施設虐待が発覚したあと、「閉鎖」という判断はしないで、「改善」を当局が考えるのではないかなあ。それは、その施設に入っている人たちの家族も、当局も、職員も、施設がなくなると困るからです。虐待を受けているご本人のことよりも、周りの都合がでてきます。いままで日本で虐待報道がでた障がい者施設で、閉鎖になったところ、ありましっけ?
 それから小学校の話は、日本だと事件として扱わないのではないでしょうかね。うやむやのまま、学校内だけで処理してしまうように思います。

 韓国と日本、事件自体は似たようなものですが、事後対応がずいぶん違うように思います。もちろん、私は韓国の方が、好ましい対応だと思います。法科大学院の造り方といい、こうした問題の扱いといい、日本は、完全に韓国に遅れています。サッカーだけではないですよ。

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2010/06/18

京阪奈丘陵 法と倫理のコラボ

京阪奈丘陵、私は京都で育ったので、その所在は聞いたことがある。ここに関西文化学術研究都市・別名「けいはんな学研都市」が建設されるという話は、もう何十年も前に聞いたことであるが、実際に着たのは今日が初めて。驚いた。とてもゆたっりした街である。

ここにある国際高等研究所で、とある研究会が開かれて、機会をいただいたので成年後見と自己決定にかかわる話を一時間ほどさせていただいた。

それにしてもすばらしい施設だ。梅雨であることをまったく忘れて、人間社会の抱える話題に精神を集中できる。

国際高等研究所の施設
http://www.iias.or.jp/profile/facilities.html

今日参加した研究会の案内はこちら。
法と倫理のコラボレーション研究会
http://www.iias.or.jp/research/project/2010_06.html

法学者が多く、しかも相当にレベルの高い方々の集まりなので、私の話が、他の先生方にどれほど参考になったのか、内心忸怩たるものがあるが、いつもの講演の癖で「毎年3万人弱の方が裁判所の手続きで選挙権を奪われている国が主要国で他にありますか・・・」とつぶやいてしまった(呟きにしては大きな声だったが)。これは響いたように思う。

ま、それはそれとして、私としては若い研究者が報告してくれた「状況的犯罪予防論」の話が収穫だった。状況整備から入っていくので、道徳的価値から中立に犯罪予防を議論できる。たとえばブラットホームの防御柵なんてのは、障がい者にとっては被害・加害両面でとても重要なのだが、これもなぜ必要なのかなんなく説明できる。福祉の現場で、触法障がい者がでたときに「支援不足」がよくいわれるが、それとも一脈通じるところがある。
報告者の方は、そういう問題として必ずしも論じておられなかったが、私には、そんな問題として聞こえたし、十分に価値のある議論だと思えた。
いや、いろんな議論があるなあ。明日も楽しみ。

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2010/06/17

京大学術創成と成年後見研究会のコラボ

明日の研究会の報告準備をしていたら、こんなサイトを見つけた。

学術創成通信5号 pdf
学術創成通信7号 pdf
 いずれも7頁あたりに、東京でやっている成年後見と自己決定の研究会と京大学術創成研究のコラボ企画が掲載されている。平成21年3月と22年2月に実施されている。

写真なしのテキスト版記録は下記にある。

http://kaken.law.kyoto-u.ac.jp/gakuso/j/activity/record_gr_enforce.html#21-07
http://kaken.law.kyoto-u.ac.jp/gakuso/j/activity/record_gr_enforce.html#20-05


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2010/06/11

成年後見法学会で聞いた話2

成年後見法学会で聞いた家事審判法改正動向のその2は、申立の取り下げ制限である。現在、成年後見などの申立は自由に取り下げができる。これを制限しようという意見が法制審議会ででているらしい。

詳しい理由や内容は学会でポツリと言われただけなので分からない。以下は推測である。

現在の成年後見審判の手続は、後見人の選任については、裁判所の専権とされていて、申立にあたって申立人が推薦する候補者に拘束されない。紛議事例では、申立人が推薦した候補者が選ばれることはほとんどなく,第三者の専門家後見人が選任されるのが普通である。このときにも申立人から高裁へ不服申立てが起こされ、審判が確定しないので、その間に取下げ、というケースがある。これが取り下げの乱用だといわれるケース。しかしこれ以外にもある。

 まったく紛議がなく、ごく普通に暮らしている親子の家庭において、親が「親亡き後を心配して」申立を決意し、さりとてほかに後見人を引き受ける人も見あたらないので、とりあえず自分を後見人候補者にして申立をしたとるする。裁判所の調査官が、その親御さんに面接してみると、調査官の目から見てちょっと癖のある人のようで、加えて高齢なので「この親御さんでは不安だ」と思ったが、なかなかご本人に面と向かって言えないので(ほんとは言った方が良いと思うのであるが、そこは法手続とはいえリアルな人間関係である)、とりあえず裁判所から専門職団体に問い合わせをして第三者後見人の推薦をえて、その方を後見人にして審判を出す(そんなことがほんとにあるかどうか、あるとしてそんなに頻繁なことかどうかは別である)。
さて、審判書を見た親御さんは驚く。自分ではない、なんだこれは、、と思い裁判所に怒鳴り込むが、不服があっても争う手続きはありませんと冷たくいわれ、それでも不服を言いたいのなら手続きとしては高裁に抗告という手続があります、と教えられる。取りあえず抗告をするが、あちこちの法律相談に駆け込んでも、後見人の選任に文句をつけても覆ることは現在はない(選任の是非は高裁では扱わないから)、と教えられてて、やむなく成年後見の申立自体を取り下げる(これも法律相談で教えられるのであろう)。

 これは家裁が審判が出したあとに、審判の確定を妨げるためだけに抗告をして、そののちに申立を取り下げる行為となり、裁判所サイドからみれば「申立権」あるいは取り下げ権限の乱用と評価される。現在は、そう評価されても、そうした権能が申立人にあるので、裁判所側もよほどのことがない限り取り下げを認める。(かならずということではないと思う・非訟には処分権主義の適用がないので)。

そこでこうした「乱用的」取り下げを制限して、いったん申立をした以上、親の勝手は許さないという法制度に変更しようという意見がでているのではないか、と想像しているのである。

 法律家サイドからみれば、まことにもっともという意見が多いように思う。そんな研究者の論文もいくつか拝見した。

 ただ、それでいいのだろうか。これは申立をした親御さんからみれば、裁判所や法律家からだまし討ちを食らったという思いを払拭できまい。もちろん、虐待まがいのことをやっている家族もいるので、家族の勝手を許さないという立論もケースによっては説得力もあるが、日本の障害者の家族や高齢者の子供が、すべて虐待行為を行っているとはいえまい。不意打ち、だまし討ち、これは処分権主義の適用があろうがなかろうが、裁判所の手続きとしてあってはならないことだと思う。
 乱用的取り下げを制限するより、公的申立(検察官?、市町村)の方をより充実すべきだ、というのが私の考えである。でも、これは予算がいる。カネのかかることはとにかくやめて、家族を「権利擁護だよ」とおだて上げて申立をさせて、家族の意見もなにもかも無視して、本人の財産を(相続がからめば、家族の財産全部ということもある)、第三者に全部ゆだねてしまおう、いじわるな見方をすれば、そんな法改正になる可能性がある。その方がご本人とって良い場合ももちろんあるとは思う。しかしである。

 私は、後見人選任についての不服申立を認めない現在の法解釈を前提にする限り、取り下げを制限することは、申立人の手続権を侵害していると考えるので、取り下げ制限には反対である。
 もっとも、この問題はかなり歴史的経緯も入り組んでいて専門家の間でも議論がかなりある。もう少し調べてみたいところであるが、とりあえず今現在の意見と理解されたい。
 さて、このあいだの成年後見法学会で聞いた話は、まだまだ続く。

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2010/06/09

成年後見法学会で聞いた話

この間の5月30日に法政で開かれた成年後見法学会で聞いたことは、さすがに学会らしくて、いろいろ参考になった。その中で最近の動きとして議論されたものをいくつか書いておこう。

まず立法動向
私の認識では、成年後見制度のそのものの改正は民法の改正であり、どうも動かないようだし、選挙権などの欠格条項の見直しもぱっとしない。残念ながら動きが鈍いなあと思っていた。

ところが、家事審判法の改正に絡めてつぎの意見が出ているという。
1)鑑定省略を原則化してはどうか。
2)申立の取り下げを制限してはどうか。

いま、後見申立の最新統計では、鑑定を省略しているケースが約7割ある。法の仕組みは鑑定を行うのが原則だろうけど、申立人の意向と裁判所の事情が重なり合って鑑定省略がどんどん広がっている。みんなが喜ぶのなら、これを原則化しようではないか、そんな提案らしい。
 ここで「みんな」というのは、本人を除いての話である。本人面接もしない、施設にも訪れない、どんな環境で暮らしているのかも分からないまま、鑑定も省略して、後見人を選び(最悪の場合、本人のことはまったく知らない後見人が選任される)、その結果、本人の財産は、本人の自由にはならず、選挙権はなくなり、自宅から施設への移動を余儀なくされ(そちらの方が後見人にとって財産管理がやりやすいから)、なにがなんだか訳が分からないまま寂しく死んでいく、、そんな人生の終末をますます促進しそうな提案である。ドイツでは裁判官が必ず本人のところへ会いに行く、と理事長が解説をしていたが、ほんとに日本はどうしてこうなるのか。。裁判官だけの問題ではなく社会全体の関心が低すぎるし、浅すぎる、成年後見バラ色論をいうメディアにあまりにも無批判すぎる、そんな気がしている。人を人として見る目が貧困な為に、あるいは見る余裕がないためにこうなるのかもしれない。このままでは成年後見は現代のウバ捨て山になってしまうのではないか。ここは、ぜひ学会として反対して欲しい。
 もっとも私は、鑑定を省略して早期に後見開始を行うことがすべて悪いとはいうつもりはない。虐待が疑われる案件で、早期の裁判所の介入が必要なケースもある。即日審判の例もあるが、ようは実情がどこまで分かっているか、それにどこまで対応できるか、なのである。それを踏まえたうえで、デフォルトが鑑定省略は、やはりおかしいし、鑑定をするしないにかかわらず、基本は裁判所がご本人の生活環境を把握することが絶対に必要なように思う(いまの裁判所のマンパワーは分かっているが、それは別問題であるといわざるを得ない)。

とここまで書いて、取り下げ制限については、改めてアップしよう。今日は疲れすぎ。

では。

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